彩瀬まるの小説を、初めて読んだ。5編で編まれた連作短編集『神様のケーキを頬ばるまで』(光文社文庫)だ。手にとったのは、解説が柚木麻子だったから。いいなと思った作家が解説する小説がおもしろいと幸せな気分になる。
舞台は雑居ビル。それぞれに心に深い傷を抱え苦しみながら、それでも今日を生きる人たちを描く。
『泥雪』
マッサージ店の女店主は、女性客の首にDVの跡を見つける。離婚して二人の子どもを育てる彼女は、過去の自分を思い起こす。もと夫は、自分が妻に対し行っている行為がDVだとはまったく思っていなかった。
夫は、私を痛めつけるのが好きなのだ。
愛ではない。子供が水から取り出したメダカの腹を押して、心臓をつぶす間際に指へ伝わるわななきを愉しむような、そんな暗い欲求を叶えていただけなおだ。はじめはもしかしたら、違ったのかも知れない。私を殴る理由が、彼なりのものであれ、あったのかも知れない。けれどもう今は、私の苦痛を見たい、好きなテレビ番組と同じように楽しみたい、というだけなのだ。それだけしか、彼の中には残らなかったのだ。
『七番目の神様』
イタリアンの雇われ店長は、子どもの頃から喘息を患っていて、徒競走は苦しみながら走ってもいつも7位だった。つきあい始めた彼女に、いまだ喘息のことを言えずにいるのは、嫌われたくないから。けれど本当は、そのままの自分を知ってほしくて。
『龍を見送る』
古書店のバイト女子は、作曲が好きで気の合う男の子とバンドを組み、ライブチケットは完売するまでになったが、彼は新しい音楽を求め離れていった。すでに恋人同士にまでなっていたのに。
『光る背中』
IT会社の事務員女子は、6歳年上のイケメンで優しい彼に夢中。彼が何人もの女性とつきあっていることを知りながら、自分のデートの順番をけなげに待つ日々。しかしトイレで拾ったウツボのフィギュアが少しずつ彼女を変えていく。
『塔は崩れ、食事は止まず』
パンケーキを売りにしているカフェのもと女性オーナーは、けんか別れした共同経営者の新しいカフェに行くこともできず、グルメサイトでその成功を歯ぎしりしながら確認するだけの毎日。仕方なく働き始めたホームセンターの裏方の仕事で、シングルマザーの親子と知り合う。
どの話にも、ウツミマコトというアーティストが撮った映画『深海魚』の話題が出てくる。評価が5段階の5と1に分かれる賛否両論の作品だ。
以下『光る背中』から。
「正直に、取り繕わず、製作者の心をさらけだした作品は、必ず誰かに嫌われます。そういうものは力強い代わりに粗も多く、でこぼこで、違う意見を持つ人にとってはひどく目障りになるからです」
「その意見が本当にいいものだったら誰も嫌ったりしないでしょう」
「いえ、誰にも嫌われないのはいい作品じゃなくて、どうでもいい作品ってことです。強く主張するものが無くて、意識にも残らないから嫌われない」
本当の自分は、誰にでも好いてもらえるものではない。そう言っているかのようでもある。
みんな、みんな、理不尽なものと戦っている。たぶん、わたしもあなたも。そう思える1冊。
やわらかなパンケーキの表紙に「いつか味わえる天国の甘み」との帯。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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