ある日〈散歩〉がシンクロしていた。
夫を駅まで送り、予約した美容室に行くまでに、1時間ほどぽっかり空いてしまった。
途中にある県立美術館の黄色く色づいた銀杏並木に誘われ、少し歩くことにした。
歩き始めると、美術館の周りは歩くのにうってつけの気持ちのいい散歩道になっているのだと気づく。
犬と散歩を楽しむ人、ウォーキングする人、ベンチに腰掛け新聞を広げる人。朝9時過ぎだったが、先客もけっこういた。
晴れていて、暑くもなくコートも必要なく、そのうえ木々は紅葉を迎えていて、目を楽しませてくれる。真紅のバラが咲いていたり、季節を違えた八重桜を見ることもできた。
その帰り道、本屋に寄り気になっていた本を購入した。
『歩きながら考えるstep9』で、芥川賞受賞作『死んでいない者』の滝口悠生が、「歩くこと、書くこと、思い出すこと」というエッセイをかいている。
どんな天気で、どこに行って、何をしたかを記すことだけが日記ではない。たとえば歩きながら思い出した昨日の出来事も「今日の出来事」だし、樹齢何百年の大きな木を眺めてその何百年前に思いをはせたなら、その何百年も「今日」のなかにある。
立ち読みしたその部分に共感したのだ。
その夜、ベッドに置いてある読みかけの文庫本を開いた。小川洋子の『不時着する流星たち』で、様々な分野で異彩を放つ人物をモチーフにオマージュともいえる短編を集めたものだ。
その夜読んだのは、『散歩同盟会長への手紙』で、散歩を愛し散歩者の視点から世界を見つめ続けたというスイスの作家ローベルト・ヴァルザーをモチーフにしていた。
私自身と体の間に隙間が生じ、体だけがわずかに後ずさりする。なのに心細くなく、それどころか軽やかな気分にさえなって、このまま歩いてゆく先がたとえあの世でも、やっぱり散歩し続けたいと思えるようや心持ち。そこにまで至るのはたいてい、天気の厳しい日です。
ちなみにローベルトさんは、雪のなか散歩中に亡くなっているのを発見されたそうだ。
かくも散歩の奥深いことか。
それでもまあ、それを心に留めつつもたかが散歩と何も考えず、ふらふらと歩きたい秋である。
銀杏並木、きれいでした。
青い空に似合います。
池に映る紅葉。趣がありますねえ。
ん? あなたは誰?
楽しんでいる途中の本たち。
☆『地球の歩き方』北杜・山梨特派員ブログ、更新しました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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