山梨に生まれた歌人、山崎方代の生家跡を訪ねた。
『一篇の詩に出会った話』で魅かれ、歌集『方代』を購入した。
そのときには、山梨にゆかりの歌人だとはまったく知らなかったのだが、よく短歌や俳句などを載せているブログのお友達、hanamomoさんが教えてくれた。
山梨生まれの歌人だと。
縁の不思議を感じる出来事だった。
『地球の歩き方』に記事をかこうと調べると、生家跡付近には、いくつもの歌碑があることを知った。歌碑を中心に方代の歌を紹介することにする。
方代が生まれた村は、今ではここ明野と同じように右左口(うばぐち)町と呼ばれているが、明野に負けないほどには田舎町だという印象だった。
記事をかくに当たり、ふたたび歌集を読み返した。
自然のなかの風景を詠んだ歌を、あげてみよう。
ふかぶかと雪をかむれば石すらもあたたかき声をあげんとぞする
鳥の巣はたえまなく風にさわげども中の卵は動くことなし
クローバーのこまかき青よ落としたるかげもしみいる今日の思いよ
また、20代で神奈川に移り住んだ方代には、都会の街を連想させる歌もある。
吹きぬけて消えゆく思い夕方を車道があればわたりてぞゆく
東京にみれんはないが真黒いかの地下道の口は呼んでる
シグナルの赤と青とのまたたきよ平和はここに溢るるばかり
読み重ねていたら、夕暮れどきに不意に淋しくなるような切なさが押し寄せてきた。この切なさは、なんだろう。答えなど見つかるはずもなく、ただただそれを感じていた。
敬泉寺のお隣りに生家跡がありました。
いくつか歌碑があるなかで、いちばん胸に響いた歌は。
これでした。生涯独身だったという方代の恋。どんな恋だったのでしょうか。
☆『地球の歩き方』北杜・山梨特派員ブログ、更新しました。
こんにちわ
山崎方代という歌人の事は俵万智の歌集で知りました。山梨の方なんですね。
この南天の実の歌が掲載されており、印象に残っていました。強烈な印象でした。
俵万智の解釈文がまた良く、何度も何度も読んだ歌集です。
以前、さえさんが記事にされていた時にコメントさせていただこうと思いながらそのままになっていました。
この歌の、歌碑があるのですね!
さえさんの記事を拝見して私も方代の歌を読んでみたくなりました。
さえさんも書いておられるように「せつない」という言葉が方代の歌から感じます。
「方代」という名前は、長女と五女以外の子どもを亡くした両親が「生き放題、死に放題」にちなんで名付けたとのこと。
昔の母は大変でしたよね。
passさんのブログでも拝見しましたが、俵万智の歌は方代にかなり影響されているような気がします。
彼の歌は口語体でわかりやすく若い人たちにもスッと入ってくるような素直さがありますよね。
死後もこれほど愛されている方代の歌の魅力は素直に詠んでいるところかな~と思うのです。
最後にご紹介くださった歌、なにか今の日本人が失ってしまった美しさや奥ゆかしさがあるように思います。
ご紹介くださってありがとうございました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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