質問されたら、答えなくてもいい場合でもただただ律儀に答えてしまうってこと、ありませんか? それとも、何の抵抗もなくスルーできる方ですか?
『江國香織とっておき作品集』(マガジンハウス)に収められた掌編『夜と妻と洗剤』は、結婚5年目の子どものいない夫婦の物語だ。
妻が、僕と別れたいと言った。私たち、話し合わなきゃ、と。
こう始まるふたりの会話は、かなりすれ違っている。
「除光液か!」
僕は言った。除光液がなくて、ペディキュアが落とせないんだね。それでイライラしてるんだろう? 僕の声には、期待と安堵が半々にこめられていた。妻は首を横にふった。
〈僕〉は、妻が必要としているものを次々と挙げていく。ゴミ袋、洗剤、ダイエットペプシ。だがもちろん、妻はそういうことを言っているのではない。
「ねえ、きいて。私たち、別々に生きるべきだと思うの。きっといい友達になれるわ」
〈僕〉は、そんなことは聞きたくない。妻に必要なものを訊ね続ける。
妻の最大の特徴は、質問にはこたえるということだ。怒っていても泣いていても、質問すれば必ずこたえる。
そうして〈僕〉は、妻の「質問に答えずにはいられない性質(たち)」をうまく利用し、夫婦の危機を乗り越えるのだ。
大好きな掌編なのだが、それはわたしが〈妻〉と同じく「質問に答えずにはいられない性質」だから、ということが大きい。身につまされるのだ。
沼田まほかるの短編集『痺れる』(光文社文庫)に収められた『テンガロンハット』は、それに近い女性と、そこにつけ込んでいく何でも屋の話だ。
ひょんなことからひとり暮らしの女性は、何でも屋、山田に家の修理を頼むことになった。だが彼は、頼んだ仕事を終えると勝手に次の仕事を始めてしまう。すっかり片づいた翌日も朝早くから勝手に仕事を始めていた。
「あ、奥さん、お早う」悪びれた様子はまるでない。
「お早うございます」
つられて挨拶し、なぜか頭まで下げてしまった。
私はまだしわだらけのパジャマを着ていた。
「そのパン屑、小鳥にやりはるの。そら、ええわ、喜んで食べるわ」
「山田さん、あの……」
「ああ奥さん、気にせんといて。自分の道楽でやってるだけでね。入口の戸だけ新しなったら、なんや物置小屋全体がえらいみすぼらしい見えて、辛抱できへんよって。昼過ぎには終わるから、ほっといてくれたらええよ。料金も貰うつもりはないけど、奥さんの方でどうしても気がすまん言うんやったら、塗料代だけでも負担してくれたらな」
女性は断り切れずに、気の強い姉に助けを求めるのだが。
これもまた身につまされる。〈女性〉と同じく、強引に押し切ってくるタイプにも誠実に返事を返してしまい、押し切られてしまうところがあるからだ。
綾瀬まるの短編集『神様のケーキを頬ばるまで』(光文社文庫)に収められた『光る背中』には、メールの返事を待ち続けるOLが描かれている。
お尻丸出しで便座に座った私の手には、「新着メールはありません」のメッセージが表示されたスマホが握られていた。今日も上条さんからのメールは来ない。そうがっくりしながら顔を上げたら、トイレットペーパーホルダーの上からこちらを見つめる水生生物と目が合った。どのくらい見つめ合っただろう。しゃあ、とウツボが鳴いた気がする。しゃあ、しゃあ、しゃあと私を叱りつけるように、力強く。
何人ものガールフレンドとつき合う彼との恋。メールに返事は来ない。トイレで見つけたウツボのフィギュアが、彼女が踏み出すきっかけを作っていく。
会話の返事もそうだが、届いたメールに返事をせずに放って置くことのできない性質でもある。返事をしたくないメールには返事をしないという人がいるということに、あるとき気づき驚いた。
まったく。律儀すぎることにも弊害があるということだろうか。返事をせずにいられなかったがために、巻き込まれ、断り切れずに苦しめられた数々の出来事に、人生歪められてきたようにさえ思う。
こういう性質だと、電話のセールスを断るのも一苦労だ。聞かれたことに、つい答えてしまう。それも正直に。
最近この律儀すぎる性格、「質問に答えずにはいられない性質」を克服しようとがんばっている。最初のハードルは、そのセールス。嘘八百作戦もありだろう。
電話に出るときには「もしもし」とだけ、高い声で言う。するとこう聞かれる。
「奥様は、いらっしゃいますか?」
声優になったつもりで、子どもの声色を作る。
「いません」
この性質、ほんと面倒くさい。
気がつけば、女流作家の短編ばかりでした。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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