「どうして、決められた道を歩けないの?」
小学校に入学したばかりの頃のこと。大人はわたしをそう叱った。母親も、担任の先生も、ときには教頭先生まで。
わたしは入学後しばらくのあいだ、決められたルートを下校することができなかったのだ。
昭和四十年代、東京も長閑だった。一年生でも登下校に大人が付き添うこともなく、登校は集団だが、下校はそれぞれ。わたしは、二十分ほどの道のりをひとりで歩いて帰っていた。
あの時代、未就学児でも近所の年上の子供たちとけっこう遠くまで遊びにいっていたので、生まれ育った辺りの道を間違えることも迷うこともなく、周辺のスポットは把握していた。川沿いの下校ルートを左に迂回したところには「アベック山」があり、右手の先へ行けば「お化け山」、さらにその先は「鬼婆山」へと続いていた。
逸れて歩いた道に、特別魅力的なものがあったわけではないし、寄り道したいわけでもない。ましてや、決められたルートに不満があったわけでもなかった。いくつかの分かれ道で、どうしても足が違う方へと向いてしまう。今考えても、謎である。ただふらっと歩きたい方へ歩く。そんな魅力に抗えなかった、としか言いようがない。
その後、大人の目が届かないルート以外の場所に潜む危険などを説かれ、何度も叱られることとなる。大人になった今では理解できる。なにしろ「アベック山」と「お化け山」、「鬼婆山」まである。危ないこともありそうだ。しかし、その頃のわたしは、だいじょうぶなのにと根拠なく思っていた。
「どうして、ちゃんとできないの?」
大人たちは問い正した。だが、自分の気持ちさえもままならず持て余していた六歳の少女に、説明などできるはずもなかった。その後、どうやって気持ちに折り合いをつけたのかは、もう覚えていない。ただあのときの頼りなく不確かな、けれどちょっと高揚するような気持ちだけは、忘れることなく胸の奥の部屋にそっと置いてある。
『なくなりそうな世界のことば』という本に、「HIRAETH(ヒライス)」という言葉が載っていた。イギリスのなかでも英語に押され話者が減少しているウェールズ語のその言葉は、「もう帰れない場所に帰りたいと思う気持ち」という意味だそうだ。
大人になった今でもふと何かに迷ったとき、あの頃下校した道を思い出す。ふらっと歩きたい方へ歩く。そんな魅力に抗えなかった説明のつかない気持ちや、歩きながら蹴った石ころ。勝手に給食のパンをあげた人なつっこい飼い犬や、丸い模様がつけられた急なコンクリートの坂道から伝わる熱なんかを。
生まれ育った家は平成を迎える前に取り壊され、今そこにはコインパーキングが広がっている。だからどうということはない。東京は、故郷という言葉に変換するには特殊すぎる街だと思う。
故郷に帰りたいという気持ちを持たないわたしにとって、ひとり曖昧模糊とした思いを抱えて歩いたあの帰り道こそが「ヒライス」なのだろうと、何かの折りに思い出すのである。
『なくなりそうな世界のことば』についての感想は、シミルボンサイト出連載しています。【遥か遠くの不思議な言葉たちに思いを馳せて】
「HIRAETH」についてかくのは、2度目です。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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