『地球の歩き方』北杜・山梨特派員ブログに、舞鶴城公園の記事をかいた。
秋の空の下散策して、いい公園だなあと思ったからだ。
感じたことのひとつには、石垣の迫力があった。
関ケ原合戦まえに積まれた石垣で、きちんと保存されているものは珍しいそうだ。
ちょうど先日、地震で被害を受けた熊本城の復旧工事の様子をドキュメンタリーで観て、崩れた石垣を積む様子に、人が大きく重い石を積むことがどんなに困難なことなのか、石と石を組み合わせて石垣を組み立てていく作業がいかに精密さが必要なことなのか、感じるところが大きかった。
どこにでもある、石。それに生涯をかけ仕事をする人の姿に、胸を打たれた。
〈石〉の持つイメージは、こんなものだろうか。
硬いもの→「石に立つ矢」
頑丈なもの→「石橋を叩いて渡る」
動じないもの→「石の上にも三年」
重いもの→「石を抱きて縁に入る」
どこにでもあるもの→「石ころ」
中野の棚田では、畦に積んだ石垣についてこう教わった。
田んぼと田んぼのあいだに積み上げた石の隙間には、太陽の光や風が通り抜けて微生物を活性化し、自然とエネルギーの高い土壌を作り上げていく仕組みになっている
たかが、石。されど、石。
最近、道端の石ころを見ても、心がころっと動くようになった。
お城と石垣には、青く抜けたような空が似合うなあ。
お堀に映った空も素敵。
「舞鶴」の像。今にも飛び立ちそう。
☆『地球の歩き方』北杜・山梨特派員ブログ、更新しました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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