ふと、本棚の詩集を手に取った。
4年ほど前に読んだ茨木のり子の『倚りかからず』。
そのとき心を摑まれた「倚りかからず」「行方不明の時間」にも、再読しふたたび感じ入った。
だが収められた18編のなかで、覚えていない詩もあった。そのひとつに「水の星」がある。少し長いけれど、引用しよう。
水の星
宇宙の漆黒の闇のなかを
ひっそりまわる水の星
まわりには仲間もなく親戚もなく
まるで孤独な星なんだ
生まれてこのかた
なにに一番驚いたかと言えば
水一滴もこぼさずに廻る地球を
外からパチリと写した一枚の写真
こういうところに棲んでいましたか
これを見なかった昔のひととは
線引きできるほどの意識の差が出てくるはずなのに
みんなわりあいぼんやりとしている
太陽からの距離がほどほどで
それが水がたっぷりと渦まくのであるらしい
中は火の玉だっていうのに
ありえない不思議 蒼い星
すさまじい洪水の記憶が残り
ノアの箱船の伝説が生まれたのだろうけれど
善良な者たちだけが選ばれて積まれた船であったのに
子々孫々のていたらくを見れば この言い伝えもいたって怪しい
軌道を逸れることなく いまだ死の星にもならず
いのちの豊饒を抱えながら
どこかさびしげな 水の星
極小の一分子でもある人間が ゆえなくさびしいのもあたりまえで
あたりまえすぎることは言わないほうがいいのでしょう
心の奥底にある”ゆえなきさびしさ”。
それを表現するのに、水の星ときたか。
まるで、手のひらの上に地球を浮かべているかのようなリアリティさえ感じる。
4年前に読んだとき、この詩があまり心に響かなかったのは、たぶん季語「水の春」を知らなかったからだと思う。春の水の美しさを讃える、美しい日本語だ。
水の星が、これからも水の星であるように、水の春が、これからも春の水の美しさを讃えられるように、できることをしていこうとあらためて思った。
国蝶オオムラサキが、表紙絵になっています。
もう1冊『落ちこぼれ』も本棚にありました。
生まれてこのかた
なにに一番驚いたかと言えば
水一滴もこぼさずに廻る地球を
外からパチリと写した一枚の写真
本当にそうです!
私も地球儀を前に、どうして海の水はこぼれないの?と何度も父に聞いた子供でした。
今だって納得しているかと聞かれたら、こぼれていないのが不思議なくらいです。
茨木のり子さんの洞察力、鋭いですね。
水の星という言葉、美しいですね。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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