日曜日。句会の友人たちと飯田蛇笏、龍太の生家「山廬(さんろ)」がある境川での講演会「飯田龍太を語る会」を聞きに出かけた。
せっかくなので「山廬」を見学し、ランチでおしゃべりに花を咲かせようと、俳句の先輩である友人が企画してくれた。
「山廬」は、江戸時代後期の建物で、家のなかには入れなかったが圧倒される存在感があり、敷地に広がる竹林や散策できるように整備された裏山を気持ちよく歩くことができた。
そして午後。俳人、長谷川櫂氏の「私を支えた龍太の言葉」に耳を傾けた。
1時間ほどの講演のなかで、最も印象的だったのは、長谷川氏の句集『古志』に龍太がかいた帯文の話だった。
私は氏の行方から、目を離さないつもりである。
長谷川氏はこの言葉に、人としての温かさと厳しさを同時に感じ、”襟を正さずにはいられない”気持ちになったという。
また龍太は、生前こう話していたという。
自然から見られているということは、恐ろしいことだ。
長谷川氏は、龍太が自然から見られているという意識を持つことで、俳人としても人としても”襟を正し”、生きていたのではないかと話した。
誰かに、何かに見られているということが、人の心に大きく影響するのだと。
「射程距離を長く持つこと」という龍太の言葉から、目先のことごとに一喜一憂することなく目標を遠くへ置き、阿弥陀の微笑みのように長く広く世界を俯瞰していきましょうと、で締めくくった。
春の水とは濡れてゐるみづのこと 長谷川櫂
思えば、俳句についての講演を聴くのは初めてのこと。
全身で、俳句の世界のシャワーを浴びたような1日になった。
「山廬」の樹齢400年ともいわれる赤松。
「山廬」という呼び名は、蛇笏が「山の粗末な建物」という意味で名付けた創作名称だそうです。
紅梅も咲いていました。
竹の筧(かけひ)と苔生した石の蹲(つくばい)。
裏山の竹林。この竹で龍太は竹箒を作っていたのだと、友人に教わりました。
この山を含めると、敷地は3,300坪あるそうです。
倒木を苔が覆い尽くしていました。整備も手がかかりそう。
「山茱萸(サンシュユ)」という花だそうです。
青空に映えていました。
裏山を登り切ると桃畑が広がっていて、そこから真っ白な白根三山を望むことができました。左から「農鳥岳」「間ノ岳」「北岳」です。
いつも見ている南アルプス連峰も、形を変えていました。
八ヶ岳も、顔を覗かせて。
句会の友人たちと、こうしてあちらこちらを訪ねながら、吟行句会をするのもいいねという話になりました。
一月の川一月の谷の中 飯田龍太
こんにちは。
飯田さん親子は山梨のご出身だったんですね。
素敵な春の一日を過ごされましたね。
快晴の青い空に黄色い山茱萸の花が映えて美しいですね。
長谷川櫂さん、好きな俳人です。
秋田にもお見えになったことがありました。
春の水とは濡れてゐるみづのこと 長谷川櫂
この句もいかにも春を感じさせるみずみずしさが溢れる句ですね。
いつも長谷川さんの句を拝見すると思うのですが、北国の方かな~と。
でも違いました、熊本のご出身でした。
長谷川櫂さんともご親交のある歌人の永田和宏さんの娘さん 永田紅さんが今度地元新聞社の短歌大会で秋田に来るようです。
ウエブでライブ配信もされるとのことで聴きたいな~と思っているところです。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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