9月に入り、日中はまだ暑い日も多いが、急に朝夕の涼しさを肌で感じるようになった。
これが秋の季語「新涼」か、と季語を知って、あらためて季節の移ろいを体感する楽しさを味わっている。
「新涼」は、秋の時候の季語。傍題に「涼新た」「秋涼し」などがある。
暑い夏が過ぎ新しい季節を迎えた、ほっとした心地がただよう。夏の季語「涼し」が暑さを前提とし、その中で捉える一抹の心地よさを喜ぶものであるのに対して、「新涼」は暑さが去りゆくことを体感としてにわかに実感するものである。
『俳句歳時記・秋』より。
新涼の白きてのひらあしのうら 川端茅舎
手のひらや足の裏の白。新涼という季語と、その白が肌に感じる涼しさを際立たせている。
新涼や起きてすぐ書く文一つ 星野立子
涼しさに目覚めることも多くなり、手書きの手紙ではないが、朝活時間に仕事のメールなどをかくことがあるこの頃。共感した句。
「爽やか」も秋の時候の季語。「爽涼(さうりやう)」「さやけし」「さやか」などの傍題がある。
秋の清々しさをいう。大気が澄み、万物が晴れやかにはっきりと見え、心身もさっぱりする。
『俳句歳時記・秋』より。
爽やかや畳めばものの四角なる 大石香代子
爽涼や杉一身に朝日浴び 村田脩
どちらの句にも、解説の「万物が晴れやかにはっきりと見え」た清々しさを感じられる。
秋の時候の季語には、「身に入む(みにしむ)」や「冷まじ(すさまじ)」など、人の心を描写するような言葉もある。秋の季語を詠んだ句には、秋に感じるもの淋しさなど心情を詠んだ句も多いのだろう。
ウッドデッキのけろじも、ちょっと涼しげに見えます。
暑苦しく鳴くミンミンゼミも。
赤い実が生っている木もあります。
お隣りさんから庭で生ったといただいた葡萄、ベリーA 。「ベリーA」も季語になるのかな?
まだまだ、夏料理も続きますが。
美しき緑走れり夏料理 星野立子
子らにまだボール見えゐる秋の暮 寺島ただし
夕暮れは、もう涼しい。
新涼、風流な季語ですね。
涼しさをちょっと感じるのではなく、しっかりと秋の涼しさを体感できる季節到来ですね。
星野立子さんの「新涼や起きてすぐ書く文一つ 」いいですね。
私も今朝、数日ためた家計簿と日記を書きました。
手紙も書けばいいのにね・・・・。
夕暮れの風景もなんて美しいのでしょう。
こんなきれいな景色を見ていたら、私は何も(家事)できなくなりそうな気がします。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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