関東甲信越は今年2026年、平年並みの6月7日に梅雨入りした。
毎年のことだが、表参道のグループ展の時期は梅雨真っ只中である。
「梅雨」は、仲夏の天文の季語。
傍題は数多い。「荒梅雨」「男梅雨」「女梅雨」「長梅雨」「青梅雨」「梅雨湿り」「梅雨雲り」「梅雨空」「梅雨夕焼」「梅雨の月」「梅雨の星」「梅雨の雷」など。
樹も草もしづかにて梅雨はじまりぬ 日野草城
しんと静まった、草木の気配のようなものを感じた。あ、梅雨が始まる、梅雨に入る、そんな瞬間を捉えた句。
世を隔て人を隔てゝ梅雨に入る 高野素十
雨が降れば、出かけるのも億劫になる。梅雨の長雨は「世を隔て人を隔て」ているのかもしれない。その先に見えてくるのは、ひそやかに独りを受け入れていく姿だ。
青梅雨や櫂の届かぬ水底も 高柳克弘
「青梅雨」は、青葉の緑をより鮮やかに見せる梅雨の雨のこと。そんな美しい雨に包まれ、ボートか小舟に乗っているのだろう。けれど、深い深い水底に櫂は決して届かない。水底に吸い込まれてしまいそうな危うさ、沈んでいくかのような不安定な心情を思い浮かべた。
梅雨雲の裂けたる空に岳赭(あか)き 水原秋桜子
重く垂れ込めた梅雨空に、ふと雲の割れ目ができ、次の瞬間、山の岩肌が赤々と浮かび上がる。そんな情景だろうか。「雲の裂けたる」が、かっこいい。
抱く吾子も梅雨の重みといふべしや 龍太
『飯田龍太自選自解句集』に、龍太の自解があった。
句の上では、性別などどちらでもいいことだが、この子は生まれて間もない次女であった。私の兄弟は五人あったが、男ばかりで、そのためか女の子がなんとなく珍しく、可愛かった。休日家に居るときは、時たま抱いた。
この子は健康に育ったが、小学校に入る前年、急性小児麻痺で急死してしまった。病臥たった一日で、あっけなく死んでしまった。そのために、この句は、なにか特別のなまなましさで記憶を蘇らせるが、句そのものの陰翳と関係はない。
図書館司書として勤めて2年目の憂いを詠んだ、というようなことが続けてかかれている。
梅雨の季節は、あとひと月ほどだろうか。明るい生活の季語、植物の季語などを、調べて過ごそうと思う。

駐車場脇に咲いたアナベル。これから白くなっていきます。

茎のわりには花が大きく、重そうに見えますね。

アナベルの足もとから、ホタルブクロも伸びています。

矢車菊は、そろそろおしまい。

ノコギリソウは、あちらこちらに咲いています。むかし遊びに来た義父が摘んできたもの。種を落として毎年咲いています。

シモツケは、末娘が小学校でもらった苗木です。20年近く前になるのかな。

沙羅も咲き始めました。
山梨は秋田より少し季節が早いです。
我が家のアナベルはまだ小さなつぼみです。
お義父さんの思い出の花もあるのですね。
きれいです。
私も今日初めての花を近所の方からいただきました。
>抱く吾子も梅雨の重みといふべしや 龍太
自解という言葉初めて知りました。
私のような素人には、すべての句集にこの自解をつけてほしいものです。
とはいえ、俳句は読んだ人の解釈でいいのですよね。
こんな悲しい出来事があったのですね。
男兄弟ばかりだったから女の子がかわいかったのでしょうね。
子を亡くした悲しみはどんなものでしょうね、せつないですね。

随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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