ふたたび、『すべての、白いものたちの』を開いてみた。
魅かれたページには付箋が貼ってあり、読み返す。
「輝き」
人間はなぜ、銀や金、ダイヤモンドのような、きらきらする鉱物を貴いと感じるのだろうか? 一説には、水のきらめきが古代の人々にとって生命を意味したからだという。輝く水はきれいな水だ。飲める水—生命を与えてくれる水だけが透明なのだ。
光り輝くものを、美しさ以外の視点で捉えているところに、驚きがあった。
砂漠を、ブッシュを、汚い沼沢地帯を大勢でさまよったはてに、白く輝く水面を遠くに見出したときに彼らが感じたのは、刺すような喜びであったはずだ。生命であり、美であったはずだ。
美は、生命と通じ合うものだという部分も腑に落ちる。
金も銀もダイヤモンドも、そして水もまた、光がなければ輝くこともない。太陽の光こそ、生命の源であると暗に示唆しているようにも思える。
美しい。そう心魅かれるものに、命の源がある。ならば、先へと足を運ぶことに迷いはない。
白いものを探してみました。14年前に旅したヴェネツィアで見つけたヴェネツィアン・グラスのネックレスをブルーのセーターに合わせて。
セーターは、父の葬儀から少しあと、明るい色が着たくなって選びました。
イザベルの結婚式のために購入した白いバッグ。もうだいぶ年季が入ってきました。
秋生まれの息子が生まれるときに編んだベビー服。末娘にも着せました。上の娘は春生まれだったから多分着てないかな。
こんなのも編んだみたい。すっかり忘れていました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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