3月の句会。兼題は「彼岸」「蒲公英(たんぽぽ)」。
「彼岸」は、春の時候の季語で、傍題に「入彼岸」「彼岸過」などがある。単に彼岸といえば春の彼岸を指し、秋には「秋彼岸」となる。
彼岸の頃は、昼と夜の長さが同じで、太陽は真東から昇り真西へ沈む。そこから、西方浄土といちばん近い日、つまり仏の世界と現世が最も近く通じ合える日だと考えられているという。
毎年よ彼岸の入りに寒いのは 正岡子規
子規の母親が口にした言葉を、そのまま俳句にしたと語り継がれる句。
兄妹の相睦みけり彼岸過 石田波郷
「彼岸過」という傍題には、春が過ぎゆくやわらかな季節の雰囲気があるという。
「蒲公英」は、春の植物の季語。傍題に「鼓草(つつみぐさ)」「蒲公英の絮(わた)」などがある。
たくさん咲いているのか、一輪だけ咲いているのか、風景を想像して詠むことが大事だそうだ。
たんぽぽや長江濁るとこしなへ 山口青邨
大きな風景を詠んだ句。青邨は、句会に出席するべく長江を船で渡り上海へと向かっていた。大河は濁りたんぽぽが咲き乱れる風景に「悠久ということを眼のあたりに見た」と記しているという。
たんぽぽと小声でいいてみて一人 星野立子
小さな瞬間を切りとった句。明るい黄色で生命力の強いたんぽぽだが、淋しさを詠んでいる。長江の句とは対照的だ。
わたしの句は、こちら。
蒲公英や坂登りたる人力車
北海道の祖父の家へ行ったとき咲き乱れていたエゾタンポポと、小樽で人力車に乗った記憶から詠んだ。
「一句のなかに動詞を複数用いない方がよいのはなぜか」という質問が出た。
・動詞には焦点が絞られやすいので、多用すると不安定になりやすい。
・動詞を複数用いてもよい場合もあるが、わかりやすく伝わりやすいことが肝心。
・工夫が見えないように、自然な流れを大切にする。
4月の兼題は「落花」「春惜しむ」。
その頃には、桜も終わっているだろうか。
句会でおっしゃっていた方もいましたが、たんぽぽはこの季節なかなか見つからない。以前の写真です。
綿毛は、まんまるですね。
綿毛と八ヶ岳。写真も、これくらいしかありませんでした。
おはようございます。
秋田もいいお天気に恵まれました。
たんぽぽって、いっぱい咲いているとにぎやかですが、道端にポツンと一つだけの事もあっていろんなことを盛り込んで詠める季語ですね。
星野立子さんの句が好きです。
私のブログのお友達の一人に熊本の阿蘇の近くの小国町ご出身の人がいて、彼女のお母さまは立子さんの御父上である高浜虚子から俳句の手ほどきを受けられたそうです。
立子も鎌倉に住み、彼女が東京の女子大に通われている頃はお母さまから託されたお土産を届ける係をしていたというエピソードをお聞きしたことがあります。
だから何となく立子さんは身近な人に感じてしまいます。
きっときれいないいところなのでしょうね。
子規のお母さんが言った言葉もその通りですね。
いつまでも寒いです。
彼岸を境に暖かくならないのはいつもなんですよね。
秋田ではまだ蒲公英と判別できないような芽が出て来たばかりです。やっぱり4月の中頃にならないと花は見られないようです。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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