9月の句会。兼題は「秋の雲」「蜩(ひぐらし)」。
「秋の雲」は、秋の天文の季語。傍題に「秋雲(しゅううん)」などがある。
秋の雲立志伝みな家を捨つ 上田五千石
季語「秋の雲」と立志伝のはるけさ(遥かな感じ)が通じる取り合わせの句。
同じく秋の天文の季語「鰯雲」との違いを、次の句と比べるかたちで教わった。
鰯雲人に告ぐべきことならず 加藤楸邨
季語「鰯雲」は、明確で具体的。はっきりと目に見える。上の句に「秋の雲」を持ってくると焦点がズレてしまう。つまり「秋の雲」は、抽象的。遥かで、秋の尖った印象を持ち、ロマンを感じさせる季語なのだそうだ。
今空に見えるはっきりとかたちを持った「鰯雲」と心のなかの大切にしている目には見えないもの「人に告ぐべきことならず」の取り合わせが絶妙な句だという。
「蜩」は、秋の動物の季語。「かなかな」「寒蝉」などの傍題がある。
蜩や刃を研ぐ水の二三滴 石嶌岳
「秋の雲」「鰯雲」と同じく、「蜩」は具体的。「秋の蟬」になると夏を過ごしてしまい秋に生きる蟬の哀れを感じさせる抽象的なイメージになるそうだ。
季語「蜩」が「刃を研ぐ水の二三滴」を際立たせている。
秋の蟬たかきに鳴きて愁ひあり 柴田白葉女
淋しさ、哀れが漂う句。季語「秋の蟬」だからこそ、哀れが色濃くなる。
かたちが確定した名を持つ「鰯雲」、蟬のなかでも種類を特定した「蜩」は、確定している分だけ具体的な季語となる。おもしろい。
わたしの句は、こちら。
蜩の声のぼりたる御神木
空を突くように伸びる御神木を見上げ、蜩の声がのぼっていくように感じた記憶から詠んだ。擬人化が成功しているとの評をいただいた。
10月の兼題も秋の季語「秋澄む」「赤い羽根」。
「赤い羽根」が秋の季語だとは知らなかった。
富士山を望む国道141号、桐の木交差点。
富士山には、雲がつきもの。
八ヶ岳を望む明野町浅尾から。
南アルプス連峰側の、秋の雲たち。
我が家の庭から眺めた、秋の雲。
こちらは「武田八幡宮」の御神木。イメージは、この場所でした。
まさに鎮守の森。猿が木の上から見下ろしていました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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