グリム童話『小人の靴屋』が好きだ。
靴屋は、貧しさゆえに靴を作る革も残り1枚になり、途方に暮れたまま眠った。そこに裸の小人たちが現れて素晴らしい靴を作り、それが高く売れて靴屋は革を仕入れることができる。それをまた小人たちが靴に仕立て、靴屋の暮らし向きはすっかりよくなる。
ラスト、こっそり覗いて小人たちのおかげだと知った靴屋は、彼らにぴったりの服と靴を作り、置いておく。小人たちは喜んでそれを着て、出ていったきり戻らなかったが、靴屋はこれまで通りせっせと働いて幸せに暮らした。
まあ、そんなあらすじだ。
しかし、現実には靴屋の小人はいない。小学生の頃、そう思った出来事がある。
3~4年生くらいだったか。雨の朝、たぶん梅雨の時期だ。お気に入りのハイソックスを履いていた。玄関を出た途端、そのソックスに泥が跳ねてしまった。
土の上に大きめの石を並べた玄関から続く通路は、雨が続いてぬかるみ、石が動くようになっていて、そこを思いっきり踏んでしまったのだ。
「もう! 石がガタガタしてるから」
わたしは、自分の不注意を石のせいにして、ぷんぷん怒りながら登校した。
母はそれを聞いていたのだろう。帰宅すると、声をかけられた。
「石、直しておいたから」
玄関に出て、そっと石を踏みながら道路まで続く道を歩いてみた。石はどれもしっかり固定されていて、動くものはなかった。
そのとき思った。学校に行っているあいだ、眠っているあいだ、こうしてやってもらっていることの多さを。小人はいない。誰かがやってくれているのだと。
大人になっても、見えないところでやってもらっていることは、想像すらしないことも多い。外で働いている家族の姿も、出かけているうちに家で働いている家族の姿も、毎日のことになると見えなくなってくる。そしてそれは、家族だけではない。生活のすべてが誰かの仕事によって支えられているのだ。
大人になった今でも不安定な石を踏むと、そんなことを考える。
我が家の玄関の石段です。スギナを根気よく抜いている夫に感謝。
玄関側の木槿(むくげ)が、咲き始めました。
マツバギクの葉っぱを果敢に登っていたけろじ。
こんにちわ♪
小さい時の失敗とか恥ずかしかった出来事とか自分自身は結構覚えているものですね。
こうしたらこうなると、私もいろいろと思い出す事があります。それはもう、刷り込まれているようです。
小人のお話。いいですね。初めて知りました。
違うかも知れないけど日本の昔話で同じようなのが
「かさじぞう」を思い出しました。
お返しが逆ですが(笑)
世知辛い世の中。あたたまる話が、胸に響いてたまには触れることも大切ですね。
ぱすさん
こんにちは♩
そうなんです。けっこう覚えているものだなあって思います。
後から作り変えちゃった部分もあるかも知れませんが、これを見ると思い出すとか、ありますよね~
『小人の靴屋』初めてでしたか。
グリムとか日本の昔話って、怖かったり残酷な話だったりもしますが、おもしろいですよね。
『かさじぞう』たしかにお返しが逆ですね。
ホッとウォーミングな小説を求めて、本屋さんを歩くときもあります。
世知辛いだけの世のなかじゃないけど、そう思わせられることも多いですね・・・。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
*このサイトの文章および写真を、無断で使用することを禁じます。
管理人が承認するまで画面には反映されません。