今年も、新米の季節がやってきた。
今夏は、日本じゅうで米不足が深刻になった。我が家はそれとは無縁。近所の田んぼの農家さんから毎年1年分の玄米を買っていて、その都度精米しつつ食べている。まだ去年の玄米が残っていて、先月、困っているという友人や娘に送った。
普段は忘れてしまっているが、お米に困ることなく食べられることに感謝する気持ちを思い出した。
思い出すといえば、毎年新米の美味しさに驚かされる。
こんなにも美味しかったか、と。
口に入れた瞬間、広がる甘みを感じる。茶碗のなかの”ご飯”というものではなく、一粒一粒が主張し合っている。
米一粒一粒が、稲となるパワーを秘めた“種”であることを思い出す。
食べていると、生きる力のようなものを、パワーを身体にとりこんでいる、そう感じさせられるような力強さがある。
魚の切り身しか食べたことのない子供が、切り身が海を泳いでいると思っていたという笑い話があるが、米作りも然り。
ここで暮らす前には、ただ知識として知っていただけの米作りだが、今は田舎で日々田んぼを眺めて暮らしている。田んぼに水が入り、そして、御田植え。頼りないひょろひょろの稲は、すぐに青々としやがて水が見えないほどに成長する。稲の粒が生り始め、重そうに垂れてきて、黄金色に色づいていき、稲刈りを迎える。
その新米を分けてもらい、自分で精米し、米を研ぎ炊く。
まだまだ知らないことの方が多いのだろうが、冬のあいだから田んぼを整備する様子も目にしている。農家さんの苦労は、きっと計り知れないのだと想像できるようにはなった。
こういう普段忘れていることを、新米の美味しさは、教えてくれるのだ。
近所の田んぼの農家さんから、30㎏の玄米を2つ、購入しています。
薄緑の米粒が入ってるのは、毎年のこと。新米の若さを感じます。
土鍋で1合炊いて、朝ご飯。
おお~きれい。
新米の朝餉の風景。
主役は、ご飯です。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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