今年も庭の栗が豊作で、栗仕事に追われている。
栗は、毬を剝くのもたいへんだし、その毬を集めて捨てるのもたいへんだ。
その上、鬼皮がある。
ぼんやりテレビを観ながら作業するにしても、手に来る。
特に、渋皮煮には爪がやられた。人間の手の爪って、あらためてすごいと再確認することとなった。
鬼皮を剝きつつ、つらつらと考える。
「梅之木の縄文人は、栗が主食だったっていうけど、日々この作業をしていたのか」
「栗剥き器も包丁もないのに、どうやって剝いた!?」
「灰汁抜きで茹でこぼすにしても、手編みのザルを使ったのか」
「水道もない。川で水を汲んできて、竪穴式住居のなかで調理したのか。何度も茹でこぼさないと灰汁が抜けないのに?」
「いやいや。川のそばで、焚き火して調理したのか」
「そもそも、毬を剝くのに革手袋もない。いや、狩猟で手に入れた革で作ったのか?」
栗仕事をしながら、ぼんやりと考える時間。
思考は、縄文へと飛んでいく。およそ5000年前、ここ明野町で暮らしていた縄文時代の人々。稲作もまだしていなかったらしいが、栗は食べていたと推測されている。
本当に、いったいどうやって調理していたのだろう。
栗ご飯。栗の季節は、新米の季節です。もっちもち。
食欲の秋ですね~栗ご飯の朝餉。
筑前煮にも、栗を入れました。
朝食に、煮物は重宝します。
渋皮煮にもしました。去年の重曹が残っていました。
重曹を入れて、最初の灰汁抜き。湯はすぐに赤黒くなります。
4度目の灰汁抜き。赤ワイン色になればOKとどこかのレシピにありました。
甘さひかえめ。剝いた栗450gに砂糖150g。縄文人、砂糖、手に入ったのかな?
お皿に盛りつけると、栗の大きさが際立ちます。
季節の厨仕事がたくさんありますね。
栗はまだですが、これ大変ですよね。
渋皮煮、お正月にもいただけますね。
本当に、縄文人は栗はどうやって食べてたのでしょうね。
石うすで砕いて粉にして何かに混ぜて食べたと聞いたことがありました。
今のように甘いお菓子などなかった時代ですから、栗は甘い木の実で美味しいと感じていたのでしょうね。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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