最近、パンの朝食に珈琲を合わせる朝が増えた。
朝は、忙しい。
というのも熱々で食べたいがために、仕上げ時間を合わせようとするからだ。
トースト。目玉焼き。珈琲。
どれも、食べる5分前に開始する。
ほかにできることは、事前にやっておく。箸を用意し、サラダを盛り付ける。珈琲の豆を挽く。カップを温める。湯を沸かす。ドレッシングやマヨネーズ、マーガリン、牛乳などをテーブルに並べる。
そこから、スタートだ。
パンをオーブンに入れ、セッティングする。
フライパンにバターを温め、卵を2つ割り入れ、塩胡椒する。
ドリッパーの珈琲に、最初の湯を注ぐ。
目玉焼きに差し水をして、蓋をする。少し待って、火を弱める。
ここからは珈琲に集中し、ドリップする時間。
けれどドリップし終わらないうちに、目玉焼きは焼き上がるから、その様子を見ながらになる。合間に焼き上がった目玉焼きを皿に移す。
また、ドリップ。
さらにトーストが焼き上がる。オーブンから出して、皿に移す。
また、ドリップ。
そうして、ようやくできあがりだ。
わさわさしていたからか、夫に言われた。
「朝飯のときに珈琲淹れるのって、たいへんだよね。今度から紅茶でいいよ」
「いやいやいや」
わたしは笑顔で返した。
「この同時進行の仕事が楽しいなあって、今思ってたとこなんだ」
「楽しいんだ?」
「そう。めっちゃ楽しい」
不思議なやつだなあという顔をされたが、これには昔読んだ(はずの)小説が関わっている。
たぶん外国の、たぶんミステリー系。
初めて訪れた町の入り口の簡易カフェあるいはキッチンカーで、主人公の男は朝食をとる。ふたりの男性店員の仕事は見事だった。
トーストが焼き上がるのと、ベーコンエッグが皿に盛られる瞬間と、珈琲の最後の一滴がドリップされるタイミングが見事なまでに同時で、主人公は心地よい気持ちで朝食をとることができた。
だが後になって判明する。ふたりのプロフェッショナルな店員こそが、殺し屋だったのだと。
その朝食シーンの小気味良さを、思い出していたのである。再現したかったとも言える。
しかしこんな些細なシーンだけが頭のなかに残っていて、タイトルも作家も主人公の名も、ずっと不明のままだ。ロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズかと探してはみたが、見つからなかった。
日本の作家、村上春樹や森博嗣だという線も考えられる。
いつか、思い出せる日が来るといいな。
近所のパン屋さんの胡桃パンが美味しくて、このところこのパンを買っています。簡単な朝食。
金継ぎ教室で、色漆で仕上げたカップで。
これも色漆で仕上げました。右上の三角に欠けたところです。お帰りなさい、フリーカップさん。
金継ぎ教室で仕上がった、気に入りの平皿。
錫(すず)で、継ぎました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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