週末、歌舞伎&狂言「百傾繚乱」を、観に行った。
歌舞伎も狂言も、初体験。
市内の小淵沢「女神の森」に、ドラマなどでも馴染みとなりつつある歌舞伎役者、尾上松也が来るという。彼による鑑賞講座もあるので、歌舞伎に親しもうと出かけた。
タイトル「百傾繚乱」は、美しい花が様々咲き乱れるという意味の四字熟語「百花繚乱」の「花」を「傾」と換えた造語だそうだ。
歌舞伎の言葉で「傾く」は「かぶく」と読み、奇抜な身なりをすることをいう。諸説あるようだが、そんな「傾奇者(かぶきもの)」の扮装で踊った阿国の踊りが歌舞伎の祖らしい。
鑑賞講座では、狂言は約700年前に誕生し、歌舞伎より200年ほども歴史が長いこと。歌舞伎は狂言の影響を受けて生まれた芸能だということ。花道や衣装、小道具の違いなどを、狂言師、三宅右矩(すけのり)とふたり、おもしろおかしく解説してくれた。
「身替座禅」のワンシーンを、狂言、歌舞伎の順で演じて見せてくれて、初めてのわたしにも違いが体感でき興味深かった。
狂言「隠狸」は、召使いの太郎冠者と主人とが、嘘をつきあうストーリー。
太郎冠者はきのう狸狩りをした。それが主人に知れるが、捕ったこともないと嘘をつく。主人は嘘を見破り、狸汁にしたい、ないのなら市場へ狸を買いに行けと命じる。そして市場へ先回りして太郎冠者を待ち伏せ、嘘を暴こうと酒を飲ませるのだった。
兄弟だという三宅右矩、近成(ちかなり)のふたりは、それぞれ独特の雰囲気を持っていて、役にハマっていた。その掛け合いは、軽快軽妙。夢中になり、胸の奥がくすぐられたかのように温かく笑っていた。
歌舞伎「連獅子」は、獅子は我が子を谷底に突き落とし、這い上がってきた子だけを育てるという伝説をモチーフに、親と子(師匠と弟子)の関係性とあふれる愛を描いていた。
この獅子たちの歌舞伎の間に、三宅兄弟の狂言「宗論」を入れるというのは、歌舞伎と狂言のフュージョンを見出す新しい挑戦だそうだ。
ふたりの宗派が違う僧侶が、それぞれの宗派の方が優れていると言い合いをする話は、笑いのなかにも深いテーマがあり、宗派の違いで争うことの無意味さ愚かさを描いていた。
ラスト、白い獅子と赤い獅子の舞いには、圧倒された。白い親獅子は堂々とした風格を、赤い仔獅子はみなぎる若さとあどけなさ可愛らしさを表現していたが、歌舞伎役者の実年齢は逆に親獅子の方が若いのだとあとで知り、驚いた。
初めての歌舞伎、そして狂言を思う存分楽しんで、いざ歌舞伎座へ、という花道が見えた気がした。
「女神の森」は、以前記事をかいたカフェ「奏樹」がある施設です。
【真の美と健康を求めて~「女神の森 奏樹カフェ&ダイニング」】
早めに到着し、パンフレットを熟読して臨みました。
尾上松也。鑑賞講座のなめらかなトークに、好感が持てました。
狂言の三宅右矩(すけのり)、近成(ちかなり)兄弟。
連獅子を演じた、尾上菊次(親獅子)、市川蔦之助(仔獅子)。迫力ありました。
パンフに載っていた「連獅子」の錦絵です。歌舞伎の歴史を物語っていますね。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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