リビングの西側の窓と窓のあいだに、ベルナール・ビュフェの「ひまわり」が掛けてある。モノクロのドライポイント(銅版画)だ。
夫が、お世話になった方にいただいたもので、会社にあったものを引退する際持ち帰ってきた。
まだ掛けて半年ほどだが、すっと家に馴染んでいる。
パリ出身の具象画家ベルナール・ビュフェは「線の画家」と呼ばれているそうだが、「ひまわり」も何種類もの線で描かれている。
沼津ドライブのいちばんの目的は、「ベルナール・ビュフェ美術館」だった。
「クレマチスの丘」というクレマチスほか、四季折々に様々な花が咲くガーデンが人気のスポットで、美術館は、その一角に凜と佇んでいる。
画面を覆うひっかき傷のような線、黒い輪郭線、鋭く突き刺さる垂直線…ベルナール・ビュフェといえば「線」で語られてきました。
美術館ホームページより
企画展は「線の画家 ベルナール・ビュフェ」と題して、100点以上もの絵画が展示されていた。
10代を、第二次世界大戦のさなかに生きたというビュフェ。
19歳で賞を受賞し注目を集めた若き画家は、黒い輪郭線と抑えた色使いで、第二次世界大戦後の不安や虚無感を描きだしたと支持されていったそうだ。
ビュフェは、日本のこの美術館に足を運んだときに、次の言葉を残している。
「素直な愛情をもって、絵と対話してほしい。絵画はそれについて話すものではなく、ただ感じ取るものである。ひとつの絵画を判断するには、百分の一秒あれば足りるのです」
心の奥に深く入り込んでくるビュフェの絵を、何か言葉に表したいという衝動に駆られつつ展示された一枚一枚を観ていたが、その言葉に、これまで自分に課していたものから解き放たれたような気がした。
窓が明るすぎて、光が反射してしまいました。
ブラインドを閉め、ふたたびシャッターを切りました。「線」が印象的なのは、わかると思います。
「ベルナール・ビュフェ美術館」です。
まさにその通り。
美術館のある「クレマチスの丘」の公園を、しばらく散策しました。
吊り橋の上からは、見上げてもなかなか見られないヤマボウシの花を見下ろすことができました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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