きのうの朝の八ヶ岳は、初めて見る顔をしていた。特別に白かったのである。
山頂付近が白く染まるのはこの季節珍しくはないが、山すそまですべてが雪に覆われた姿を目にするのはとても珍しい。
「こんなに真っ白な八ヶ岳、20年暮らしてて初めて見るね」
夫に言うと、
「気がつかなかっただけかもよ。大雪のときには、真っ白だっただろうし」
なるほど。
雪降りしきるなか山は見えたのかという疑問も沸くが、晴れた朝も雪掻きやらなにやらで山を眺める余裕はなかったようにも思う。
いちめん真っ白な雪景色だったら、たしかに気づかなかったかもしれない。
「木を見て森を見ず」あるいは、「闇夜のカラス」か。
60年ぶりと言われたその大雪も、何年前のことだったか調べなければわからなくなっている。ブログを見返すと2014年のバレンタインだった。すでに、7年が経っていた。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とは、このことだ。
20年という年月は、山々の時間のなかでは一瞬だともいえる。きっとまだまだ知らない顔を持っていて、不意に見せてくれるのだろう。
真っ白に雪化粧した八ヶ岳。
最高峰、赤岳も凍っています。
権現岳も、白く白く。
西を向けば、南アルプス連峰も真っ白。
アサヨ峰と甲斐駒ケ岳。
鳳凰三山も、まぶしい白。
雪がつくことわざを、調べてみました。
「柳に雪折れなし」
柔らかくしなやかなものは、堅いものよりも、耐え得ることの例え。
「我が物と思えば軽し笠の雪」
苦しいことも辛いことも、自分のためだと思えば気にならないことの例え。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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