暖かかったきのう、コブシの花がひとつ咲いた。
ほかの蕾も、ゆるゆると枷を解き始めている。
昨年は、桜だけではなくコブシも1週間近く早く開花し、そのとき北原白秋の歌を引用し、こうかいていた。
コブシの花が咲く早春のこの季節は、出会いと別れ、終わりと始まりの季節なのである。
「春」とが意味することは、種々雑多で、たぶんその人がそのときに感じた気持ちがその人の「春」なのだろう。
ところで、「論語」の60歳が「春」に分類される言葉だと知った。
【十有五にして学を志す】立派な人物は、15歳くらいで人生の目標を定める
【三十にして立つ】30歳くらいになると、独立してやっていけるようにならなければいけない
【四十にして惑わず】40歳にもなれば、惑うことがなくなるもの
【五十にして天命を知る】50歳頃には、自分の人生が何のためにあるかを意識するようになる
そして、60歳。
【六十にして耳順う】60歳。人の言うことを聞き素直に理解できるようになる
春に分類されるようになったのは、3月3日が「耳の日」と決まってかららしい。
と続き、ラスト。
【七十にして己の欲する所に従えども矩を踰えず】どんなに立派な人でも、自分の行動を完全にコントロールできるようになるのは、70歳くらいになってからだ
還暦デビューをしたばかりのわたし。まだまだ未熟でいいのだ。
そう、素直に安心する自分が、いいのか悪いのか。
まあ、いいか。と、コブシの花が、ちょっと呆れたように白く眩しく笑っている。
まだひとつしか花開いていませんが、10以上蕾をつけています。植えてから4回目の春。少しずつ育っていてうれしい。
ハンカチを振るように、咲いています。
春蘭も、咲きました。
ムスカリも、色づいてきました。
桜も咲いて。
雪柳も、咲き始め。
去年植えた花桃も、花開き始めました。
濃いピンクの蕾を、たくさんつけています。
採り残したふきのとうも。
論語の三十と四十と五十は、確かテレビCMで昔あったので、覚えていましたが、六十は知りませんでした。
でも確かに「六十」とPCで打つと「六十にして耳順う」ってすぐ出てきますね。
ちょっと意味は違うんですが、私は単純だから、何を聞いても素直にその通りって思ってしまう所があって、
あっち側の話もこっち側の話も、最もだって思って、じゃあ自分はどうなの?てフラフラ思う所があるんですよね~
七十になったらコントロールできるのかな?
でもとりあえず聞く耳は持たないとね。
さえさんと同じ60代になって嬉しいです。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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