直木賞作家となった窪美澄の初期の頃の短編集を、再読した。
9編のなかには、直木賞受賞作『夜に星を放つ』にも収められている「銀紙色のアンタレス」も入っている。少年の夏休みの初恋を描いたこの短編は、2015年にかかれたもので、よく覚えていた。星をモチーフに置いた『夜に星を放つ』のなかでも、ひとつのピースとして光っていた。
コロナ禍となった最近かかれたあとがきを中心に、紹介していこう。
「父を山に棄てに行く」は、シングルマザーでライターの仕事をしながら、子供の学費を稼ぐために小説家を目指したという著者自身を映している作品で、あとがきにはこうある。
自分がどんな半生を生きてきた人間なのか知ってほしいという強い気持ちがあったことは確かです。
30代のライターの女性が、山奥の施設に向かうなか、生まれたばかりの赤ん坊を亡くしたこと、夫と価値観が噛みあわなくなっていったこと、自分を棄てた父が金を無心に来ること、その父が自殺未遂を繰り返すが死ぬ勇気すら持ち合わせていないこと、などが語られていく。
自信満々に自分の人生の舵を自分で取っているようでいて、その実情は私にとって、二人の男を棄てることなのだった。
「インフルエンザの左岸から」も、主人公は男性だが「父を山に棄てに行く」の後日談でノンフィクション色の濃いこの二つの作品を、小説家として脚光を浴びることになり、かかずにはいられなかったという。
強い光が当たった分だけ、黒々とした深い影の部分を書かなければ、バランスがとれない、と、切羽つ詰まった気持ちが、この作品を書いているときには強くあったのです。
「猫と春」のあとがきには、文庫の共通テーマがかかれていた。
「いなくなってしまった男/女あるいは猫」というテーマも、この短編集に通底するテーマであります。父が、男が、女が、猫が突然(というように見える)姿を消す。けれどいなくなってしまったのは、相手の方だろうか。そこから姿を消してしまったのは、むしろ、「私」なのではないかと作品を書いてから時間が経過した今はそう思います。
小説をかくにあたり抱いている思いも、記されていた。
小説は誰にとっても心が晴れ晴れとするような万能薬ではないけれど、もしかしたら誰かの心の奥深くにある扉を開くきっかけになるのではないか。そんな思いを抱えて、本書に収められている作品を書きました。その気持ちは今も変わりません。
表題作「すみなれたからだで」は掌編で、初潮を迎えた娘を持つ母親が、女としての自分を見つめる静かな作品だ。
すみなれたからだで、たぶんわたしも明日を生きていく。そんなことを思う短編集だった。
昔図書館で借りて新刊で読んだので、文庫版オリジナルの「夜と粥」は初めて。失恋して心を壊した女性が、去って行った恋人ばかりを思う辛い短編でした。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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