何十年ぶりになるのだろう。村上春樹の『カンガルー日和』を再読した。
23話の短編小説。(のようなもの、とあとがきで村上春樹はかいている)
時間が作り出し、いつか時間が流し去っていく淡い哀しみと虚しさ。都会の片隅のささやかなメルヘンを、知的センチメンタリズムと繊細なまなざしで拾い上げるハルキ・ワールド。
裏表紙にかかれていた紹介文だ。
表題作「カンガルー日和」にしても、たしかに”都会の片隅のささやかなメルヘン”的である。
起承転結があってないようなこの短編で、クライマックスとなるのは「カンガルーの赤ん坊が、すでに赤ん坊ではなくなっていた」という事実のみ。
赤ん坊と子供の境目が、いったいどこにあるのか。そんな曖昧模糊としたテーマが、ふわふわと流れていく。
もっとも印象に残ったのは、『鏡』だった。
怖い話をする順番が〈僕〉に回ってきた。〈僕〉は、高校を出てふらふらしていた頃、中学校の夜警のバイトをした。真面目に見回りをしたところで、たいした手間でもなかった。しかしその夜がやって来た。〈僕〉は、これまでなかった場所に鏡が取りつけられているのを見つけた。嫌な感じがした。
煙草を3回くらいふかしたあとで、急に奇妙なことに気づいた。つまり、鏡の中の僕は僕じゃないんだ。いや、外見はすっかり僕なんだよ。それは間違いないんだ。でも、それは絶対に僕じゃないんだ。
〈僕〉は、じっと鏡を見つめた。
相手が心の底から僕を憎んでいるってことだった。まるで暗い氷山のような憎しみだった。誰にも癒やすことのできない憎しみだった。僕にはそれだけを理解することができた。
〈僕〉は金縛りに遭い動けなくなる。鏡のなかの奴は、〈僕〉を支配しようとしていた。
ところで君たちはもうこの家に鏡が一枚もないってことに気づいているよね。鏡を見ないで髭が剃れるようになるには結構時間がかかるんだぜ、本当の話。
〈僕〉の百物語は、こうして締めくくられた。
そういえば、こういう不可思議な話ばかりを収めた『東京奇譚集』が、けっこう好きだったと思い出した。
1986年刊行、結婚した年でした。2006年57刷の文庫です。佐々木マキの絵、なつかしい。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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