再読が、続いている。マイ小説best5に入る川上弘美のベストセラー『センセイの鞄』。
2001年に刊行され、その年に読んでいるから、23年前に初めて読んだことになる。だが、それ以来何度も開き、連作短編集のストーリーは、どれも覚えている。
物語は、一杯飲み屋でのツキコとセンセイの出会いから、始まる。
「まぐろ納豆、蓮根のきんぴら、塩らっきょう」カウンターに座りざまにわたしが頼むのとほぼ同時に隣の背筋のご老体も、
「塩らっきょう、きんぴら蓮根、まぐろ納豆」と頼んだ。趣味の似たひとだと眺めると、向こうも眺めてきた。どこかでこの顔は、と迷っているうちに、センセイの方から、
「大町ツキコさんですね」と口を開いた。
センセイは、ツキコが高校時代、国語を教わった教師だった。歳は、ツキコ37歳。センセイは、70歳に手が届く頃。
そんなふたりの恋愛を描いた小説だ。17の短編が収められているが、短編集というよりは、太い川の流れのような長編と言っていい。
サトルさんの店で偶然会うだけのふたりだったが、少しずつ距離が縮んでゆく。巨人ファンのセンセイとアンチ巨人のツキコは、大喧嘩した。
そういえば、センセイばかりと一緒だった。
センセイ以外の人間と、隣りあって酒を飲んだり道を歩いたり面白げなものを見たり、そういうことを、ここしばらくしていなかった。
センセイと近しくなる前は、それならば誰と一緒だったかと考えるが、思いつかない。一人だった。
年を越し春になり、「花見」で、ふたりの関係は少し揺れる。石野先生と楽しそうに酒を酌み交わすセンセイ。そして、再会した小島くん。
センセイは一人でサトルさんの店にいるだろうか。焼きとりを塩で食べているだろうか。それとも石野先生と一緒に、おでん屋かなにかにしっぽり並んでいるんだろうか。
何もかもが遠かった。センセイも、小島孝も、月も、遠い場所にあった。
八の市のひよこ、キノコ狩り、パチンコ、島へのふたり旅。
共にときを過ごしても、30歳余りの年の差ゆえに、その想いが”恋”であることをたがいに口に出せないふたり。均衡を破ったのは、ツキコだった。
「ききわけなんかぜんぜんないです。だってわたしセンセイが好きなんだもの」
言ったとたんに、腹のあたりがかあっと熱くなった。
失敗した。大人は、人を困惑させる言葉を口にしてはいけない。次の朝に笑ってあいさつしあえなくなるような言葉を、平気で口に出してはいけない。
しかしもう言ってしまった。なぜならば、わたしは大人ではないのだから。
とても純粋に、”恋の切なさ”を描いた小説だと、再読しあらためて思う。
かなり日に焼けています。分厚いのに、その厚さを感じさせない装幀。
2001年、谷崎潤一郎賞受賞作。現在、川上弘美は審査員をしています。
長嶋有『三の隣は五号室』も、2016年に受賞していました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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