朝井リョウの直木賞受賞作『何者』(新潮文庫)は、就職活動中の大学生5人を描く、長編小説だ。
本文が始まる前のページに、人物紹介よろしく6人のツイッターの自己紹介が載っている。小説には、リアルでの会話の間に波間に見え隠れするかのように、ツイッターでの発信が挟まれていく。本音と建て前、プライドと自己顕示欲、誰かに認められたいという心の叫び、うまくいかない就活、そして恋。
みんながみんな、綺麗なままではいられずに、抗いもがく姿が描かれていた。
演劇を辞め就活する拓人。そのルームメイト光太郎は引退ライブを終えたところ。光太郎の別れた彼女、瑞月。その留学仲間、理香が拓人達と同じアパートに住んでいたことから、理香と同棲中の隆良を交え、5人で就活対策として集まるようになったのだが・・・。会って話すこと、ツイッターにかくこと、それを読んで思うこと、5人の歪みは次第に大きくなっていく。
「お前、こんなことも言ってたよな」
返事ができないでいると、サワ先輩の声が少し、小さくなった。
「ツイッターやフェイスブックが流行って、みんな、短い言葉で自己紹介をしたり、人と会話するようになったって。だからこそ、そのなかでどんな言葉が選ばれているかが大切な気がするって」
サワ先輩は、ツイッターもフェイスブックも利用していない。
「俺、それは違うと思うんだ」
サワ先輩は、用があるならメールじゃなくて電話してといつも俺に言ってくる。
「だって、短く簡潔に自分を表現しなくちゃいけなくなったんだったら、そこに選ばれなかった言葉のほうが、圧倒的に多いわけだろ」
サワ先輩は、この現実の中にしかいない。
「だから、選ばれなかった言葉のほうがきっと、よっぽどその人のことを表してるんだと思う」
俺はサワ先輩の背中を見つめる。
「たった140字が重なっただけで、ギンジとあいつを束ねて片付けようとするなよ」
いつのまにか、目の前には、目的の図書館がある。
「ほんの少し言葉の向こうにいる人間そのものを想像してあげろよ、もっと」
「自分は自分にしかなれない」文中の言葉が、胸に響いた。
自分以外の何者かになんてなれない。ツイッターで格好のいいことばかりかいても、何者かになったふりをし続けても。「アカウントを隠しても、あんたの心の内側は、相手に覗かれてる」という言葉の通りに。
大昔からある、本当の自分よりも強く格好よく見せたいという習性。それを利用し、SNSがプリズムを呼び起こす。織りなす光は、人の心の弱さだ。
それを見せつけられ、圧倒された。
10月15日、映画『何者』公開予定です。
誰がどの役をやるのか、読み始めてすぐに判りました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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