久しぶりに、村上春樹を読んでいる。出版されたばかりの短編集『女のいない男たち』(文藝春秋)6編の短編小説が収められていて、1話目の「ドライブ・マイ・カー」を、読み終えたところだ。
何年か前に病気で妻を亡くした舞台俳優、家福(かふく、と読む。苗字だ)が、専属ドライバーに雇ったのは、運転の腕にかけては超一流で無口な24歳の女性、みさきだった。会話のない車中を、心地よく感じていた家福だったが、ふと、亡き妻に対し抱えていたある思いを語り始めるのだった。
「そういうのって気持ちとしてつらくはなかったんですか?奥さんと寝ていたってわかっている人と一緒にお酒を飲んだり、話したりすることが」
「つらくないわけないさ」と家福は言った。
「考えたくないこともつい考えてしまう。思い出したくないことも思い出してしまう。でも僕は演技をした。つまりそれが僕の仕事だから」
「別の人格になる」とみさきは言った。「そのとおり」
「そしてまた元の人格に戻る」「そのとおり」と家福は言った。
「いやでも元に戻る。でも戻ってきたときは、前とは少しだけ立ち位置が違っている。それがルールなんだ。完全に前と同じということはあり得ない。
読んでいて、この文章が、すっと胸に落ちた。
女優でも何でもない、繰り返しの毎日を生きているわたしだが、昨日と今日は、少しだけ立ち位置が違っているのを感じる。一つの小説を読む前と後では、やはり少しだけ立ち位置が違っていることを感じる。友人とゆっくり喋った後にも、同じようにそれを感じる。それは「成長」や「進歩」などと呼ぶ種類のものではない。在るか無しかのほんの小さな、けれど確かな「変化」だ。
家福の台詞は、そんな目に見えない変化を、垣間見せてくれた。
さて今夜は、2話目「イエスタデイ」を楽しもう。
この表紙を見て、思い出しました。村上春樹が学生時代に経営していたジャズ喫茶が「ピーターキャット』」で、彼の飼い猫からとった名だということを。
村上龍も訪れたことがあるとか。わたしはもちろん行ったことありません。
家福の車は、黄色のサーブ900コンバーティブル。
彼の亡き妻が、選んだ色です。
帯には、1話ずつ丁寧な紹介分が載せられていました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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