引き続き、村上春樹の短編集『女のいない男たち』(文藝春秋)を読んでいる。3話目は『独立器官』52歳の整形外科医、渡会(とかい)について、僕(谷村)が、文章をかき起こす、というスタイルでかかれていた。
渡会は、結婚生活には興味がない、いわゆる独身主義者だが、女性と過ごす時間は、重要視していた。結婚を前提とせず、便利な「雨天用ボーイフレンド」に徹することで、複数の女性達と、質のいい時間を共にすることができ、充実した日々を送っていた。しかしある日彼は、落ちてしまった。深い深い恋に。
渡会は自ら、それをこう表現した。
「彼女の心が動けば、それにつれて引っ張られます。ロープで繋がった2艘のボートのように。綱を切ろうと思っても、それを切れるだけの刃物がどこにもないのです」
谷村には、彼の気持ちが理解できなかった。いや、判り過ぎていたとも言える。恋に落ちるということは、何も渡会だけではなく、誰もが経験するごく自然な感情なのだから。だが渡会は、その、ごく自然な感情の波に飲まれ、自分を見失っていった。いや、真剣に自分を見つめ過ぎたのかも知れない。
渡会の女性全般に対する見解が、印象的な文章となっている。
どんな嘘をどこでどのようにつくか、それは人によって少しずつ違う。しかしすべての女性はどこかの時点で必ず嘘をつくし、それも大事なところで嘘をつく。大事でないことでももちろん嘘はつくけれど、それはそれとして、いちばん大事なところで嘘をつくことをためらわない。そしてそのときほとんどの女性は顔色ひとつ、声音ひとつ変えない。なぜならそれは彼女ではなく、彼女に具わった独立器官が勝手におこなっていることだからだ。 『独立器官』より
恋に落ちる。そのコントロール不可能な激しい感情を、息ができないほどに切ない気持ちを、思い起こさずにはいられない小説だった。
小説に登場した『ブラック・アンド・タン』を作ってみました。
黄色と黒に分離した神秘的なビアカクテル。
ほんとはギネスで黒を表現するんだけど、手に入らず。
上手くいかなーい! 2度目でようやくこんな感じに。
我々はフライドポテトとピックルスをつまみに『ブラック・アンド・タン』の大きなグラスを傾けていた。
「『逢い見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり』という歌がありますね」と渡会が言った。「権中納言敦忠」と僕は言った。どうしてそんなことを覚えていたのか、自分でもよくわからないけれど。
渡会は、言う。「恋しく想う女性と会って身体を重ね、さよならを言って、その後に感じる深い喪失感。息苦しさ。考えてみれば、そういう気持ちって千年前からひとつも変わっていないんですね」
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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