吉田修一の長編小説『怒り』(中公文庫)を、読んだ。
表紙に殴るように描かれたタイトルの真っ赤な「怒」の文字に目を魅かれたのだ。読み始めるとそれは、若い夫婦が惨殺された現場に残された血文字だった。犯人は、被害者とは面識のない、山神一也(27歳)と断定。全国に指名手配されるが、目撃証言もなく1年が過ぎていた。
この小説のテーマの一つは、他人を信頼するために、その人物の生い立ちや過去が必要なのかということだ。つまりは、素性の知れない人間と親しくなったときに、自分の知っているその人というだけで、彼は殺人を犯すような人間ではないと言い切れるのか、というところにある。そのために、殺人犯を追う刑事達と並行して、3人の男を追っていく。浜崎の漁村で働く、洋平、愛子の父娘のもとに現れた、田代。東京の大手企業に勤めるゲイの優馬と暮らし始めた、直人。沖縄、波留間の無人島で女子高生、泉と出会った、田中。3人とも、過去は一切語ろうとせず、それでも周囲の人達に少しずつ溶け込んでいくのだった。そして、殺人犯を追う刑事、北見もまた、素性を明かそうとしない恋人との関係に、行き場のない気持ちを抱えていた。以下本文から。
美佳が開かない窓から逃れるように浴室へ向かおうとする。しかし北見は摑んだ手首を放さなかった。
「こういう付き合いがずっと続くのか」
と北見は言った。美佳は何も答えない。
「・・・こうやってたまに会って、こうやって同じラブホテルの部屋に入って、こうやってただ・・・。つらくなるんだ。会うたびに、つらくなる。相手がどんな人間なのか、知らずに付き合うのはつらい」
「それでいいって言ってくれたじゃない。それでいいって約束してくれたじゃない」「うん。分かってる」
北見の手から美佳が逃れようとする。
「ごめん。これでいい。これでいいんだ」
北見は美佳の手を放した。
もう一つのテーマはタイトルの『怒り』だ。怒りは、上流から下流に川が流れていくかの如く、力の強い者、立場が勝る者から、弱者へと向かっていく。
コンビニで対応が遅いと店員を怒鳴る人や、電車が遅れたイライラを駅員にぶつける人を見るにつけ、彼らは、何処かで感じた怒りを晴らす場所を求め、ここにいるのではないかと思ってしまう。そんな光景を目にすることが多い昨今だからこそ、読み終えて、怒りの流れを感じたのだろう。
そんな人ばかりじゃない。そんなふうにはなりたくない。そうは思うが、誰のなかにも、自分のなかにさえ、弱い者へ怒りを向けるような弱さがないとは断言できない。イライラしたときに、子どもに八つ当たりしたことだって、たぶんあっただろう。人間だもの、と言える程度のことだったかも知れないが、知っておこうと思った。怒りと、そして暴力は川が流れるように、自分よりも立場の弱い者、力の弱い者へと向かっていきやすいのだと。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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