久しぶりの原田マハのアート小説。
版画を彫り続けた棟方志功の生き様を、どっぷり長編で描いている。
世界のムナカタ、ここに誕生。
ゴッホに恋焦がれた青森の貧乏青年は、いかにして世界のムナカタとなったのか?
視点は、奔放な棟方に寄り添い続けた妻チヤ。
序章は、1987年。棟方の死後12年。世界のムナカタの原点となったゴッホの「ひまわり」来日の特集で、チヤが取材を受けるシーンから始まる。
十代での出会いから、偶然の再会。まさかの公開ラブレター。そして、結婚出産。それなのに、棟方は東京、チヤは青森の実家で離ればなれのスタート。
絵一筋の棟方は、こうと思ったら、すぐ行動に移す。
貧乏で、妻子は養えない。それでも画家を目指したい。だからチヤと娘を東京には呼べない。めちゃくちゃだ。
我慢の限界を超えたチヤは、画家友達の家に居候していた棟方のもとへ娘と押しかけていく。チヤもまた真っ直ぐな気性なのだった。
やがて弱視の棟方は、自ら「板画」と称した木版画の道を貫くようになるが、世間では複製ができる版画は、その頃、絵画よりも格下に見られていた。
しかしある日、美術評論家、柳 宗悦と出会うことになる。
――棟方の作物には自然の叫びが直に聞こえているのだ。多くの者が失ってしまったものを未だに有っているのだ。或る者から馬鹿に見られたのも道理である。(中略)…その美しさには本質的で根源的なものがあるのだ。なにもかも分かり切った心得た美しさではない。何だかわけの分からぬ泉から生まれてくるのだ。
一途という言葉では足りない。ただただ真っ直ぐに、一直線に、ひたすらに版画に挑み続けた人物、棟方志功が描かれていた。
友人からこれを読んでいるとLINEが届き、一緒に読んだ。
青森の美術館巡りをしようと昨年から計画を立てていた彼女とは、数年前に沖縄やちむん巡りをした。
ねぶたが根底にあったといわれる棟方志功が生まれ育った、青森。
明日から旅レポ「女子旅・青森」編、始めます。
読んで、ぐっと青森が近くなりました。
小説にも登場した「二菩薩釈迦十大弟子」が、カバーを外すと収められていました。
12の木版画を、見つめました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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