東野圭吾の加賀恭一郎シリーズ最新刊『祈りの幕が下りる時』(講談社文庫)を、読んだ。加賀恭一郎とは夢中になった時期を経て、 久しぶりの再会だ。
日本橋署の刑事、加賀に、従弟で警視庁捜査一課の松宮から連絡が入った。担当の殺人事件に加賀の知人が関係しているという。アパートで絞殺された女性は、直前に演出家、角倉博美と会っていた。加賀は数年前、博美に子役の剣道指導を頼まれたことがあり、細く長く交流を続けていた。
行方不明の男が借りていたアパートのカレンダーには、月ごとに日本橋を囲む12の橋の名がかき込まれていた。それを聞き、加賀は驚愕する。小学生の時に家を出たまま行方知れずになっていた加賀の母親の遺品に、それと同じ順に並べられた橋の名のメモが残されていたのだ。以下本文から。
「今年の一月、柳橋に行かれたみたいですね」
「はっ?」博美は眉根を寄せていた。「柳橋? 何のことですか」
「行っておられない? おかしいな」
加賀は手帳を出し、中を広げて首を捻った。
「どういうことでしょうか」
「いや、今年の一月、柳橋の近くであなたを見たという人がいるんです。あなたに間違いなかったとおっしゃっているんですがね。一月の何日かは覚えていないそうですが。よく考えてみてください。お忘れになっているんじゃないですか」
加賀は、じっと博美の目を見つめながら訊いた。博美は目を合わせたまま口元を緩め、小さく首を振った。
「いいえ、そんなところには行っておりません。柳橋なんて、近づいたこともありません。その方は誰かと見間違えたんですよ」
加賀は頷いた。
「そうですか。あなたがそうおっしゃるんだから、その通りなんでしょう。失礼しました。もしあなたが一月に柳橋に行っておられたら、橋巡りの法則について何かご存じかと思ったのですが」
「橋巡りの法則? 何ですか、それ」
「こういうものです」加賀は手帳を広げ、博美のほうに向けた。
そこには『一月 柳橋 二月 浅草橋 三月 左衛門橋・・・』というように十二の月と橋の名称が並んでいた。
この物語のテーマは、親子の愛。「愛」と一文字で呼ぶことすらためらってしまうような、強い想いが深く沈められていた。加賀は、殺人事件と母親のもとに残されたメモの謎を解くため、一つ一つの疑問を辛抱強く解き明かしていく。真相は、数え切れないほどのベールに包まれていたが、彼があきらめることはなかった。そんな加賀にも理解し得ない気持ちもある。恋仲になった看護婦の登紀子から訊かされた、死を間近にした患者の話が印象的だった。
「子ども達の今後の人生をあの世から眺められると思うと楽しくて仕方がない。そのためには肉体なんか失ってもいい」
愛する人が死んだあと、最期はどういう気持ちだったのか、辛さや淋しさに耐えかねて死んでいったのか。知りたくても、あるいは知りたくなくても、永遠に知ることはできないそれを、考え続けていくのは残された者にとってとても辛いことだと思う。それでも加賀は、一歩ずつ母親の最期に近づいていく。彼は彼のやり方で、深く母を愛していたのだ。
シリーズ10冊目にして、吉川英治文学賞受賞作です。
日本橋の謎を解いた加賀は、警視庁捜査一課に戻ります。
次、11冊目、早く出ないかなあ。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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