窪美澄の5編から成る短編集『いるいないみらい』は、子供を持つか持たざるかがテーマとなっている。
「1DKとメロンパン」
35歳、OLの知佳は、今の暮らしに満足している。夫、智宏の給与は自分の半分しかなく1DK暮らしだが、穏やかな性格がなににも代えがたい。しかし妹の出産を機に、智宏が子供が欲しいと言いだした。
ふいに、三十五という自分の年齢が、ひどくぐらぐらした足場に立っているもののような気がしてくる。ぴんと張ったロープの上。そのうえでバランスをとっているみたいに。右に転べば、子どもを持つ人生。左に転べば子どものいない人生。今ならどっちにも転べるけれど、女性が子どもを持つ人生を選ぶにははっきりと期限がある。
「無花果とレジデンス」
34歳、会社員の睦生は、妻がたびたび発する「妊活」という言葉に違和感を覚えていた。しかし、蓋を開けてみると、軽度の男性不妊と診断されたのは自分であり、ショックを受ける。
「私は子どもが大嫌い」
36歳、OL、独身の茂斗子は、子供が大嫌いだ。結婚願望がないわけではないが、子供が大嫌いな女と結婚したがる男はいないだろう。
「ほおずきを鳴らす」
54歳、会社員の博嗣は、子供を亡くし妻と別れた過去を持つ。ひとり淡々と生きる日々、生きていたら娘と同じ年だというソープで働く女の子と出会う。
「金木犀のベランダ」
夫、栄太郎とふたりパン屋を「子羊堂」を営む繭子は43歳。孤児院で育った過去から、子供を持つことに踏み切れずにいた。
愛し合っている夫婦でも、子供を持つか持たざるか、考え方は同じではない。もちろん女性の方が身体的にも、仕事を続ける上でも負担が大きくなる。
考えて、考えて、歩み寄って、しかし迷いは消えない。簡単に答えを出せることではないのだ。
「1DKとメロンパン」「無花果とレジデンス」「金木犀のベランダ」の3話は、たがいの思いが交わらないまま、それでも夫婦として変わらぬ気持ちを持ち続けているところが、温かく切なかった。
子供が「いる」、子供が「いない」、そのどちらにも「みらい」がある。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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