中澤日菜子の小説『お父さんと伊藤さん』(講談社文庫)を、読んだ。
34歳フリーターの彩は、54歳バツイチ、アルバイトで給食のおじさんをしている伊藤さんと暮らしている。古くて狭いアパートで、しかし気ままに楽しく暮らしていたのだが、ある日突然彩の父74歳がやって来て、住みついてしまった。元教師の頑固で口うるさい父。はっきりしない兄。お節介で知りたがり屋の死んだ母の妹である叔母。短気な彩よりもよほど自然体で父に接する伊藤さん。
実の家族の微妙な距離感が、傍観者である伊藤さんの存在によって、くっきりと浮かび上がっていく。以下本文から。
カンマニワさんがウスターソースを取り上げ、かちりとキャップをはずした。さらりとした茶色の液体をたこ焼きに丁寧にかけてゆく。そして、
「どっちもあっていいんじゃない」
「は?」
話についていけず、間抜け面で問い返す。カンマニワさんは円を描いて容器を回し、そして歌うように、
「彩ちゃんは中濃、お父さんはウスター。ひとつの家に、二つ違うソースが置いてあってもいいんじゃないかなあ。どちらかがどちらかに合わせるんじゃなくて、どちらかひとつが正しいと決め付けてしまわないで。それぞれ自分の好きなほうを使えば、それで」
ひとつの家に二つのソース。その言葉を、頭のなかでゆっくり転がした。
「でもさ、そんなんだったら一緒に暮らす意味なくない?」
ふわっと温まったソースのにおいが立った。
たこ焼きを見つめたままカンマニワさんが、
「そうかもしれないね。でもさ、意味って、いろんなことの意味って、その真っ最中にはけっこう見えないものじゃない?そのときは『なんでこんなことを』って馬鹿馬鹿しくなったり、面倒くさく思ったり。時間が経って初めて『あーそういうことだったのかぁ』って、腑に落ちるというか、納得できるというか」
彩の父は、とんかつにもウスターソースをかける。それも何度注意しても「ウースター」と発音する。彩の母は「お父さん。ウースターじゃなくて、ウスターよ」と言い何度でも笑っていたと、彩の記憶にははっきりと残っている。
(因みに、カンマニワさんというのは、彩がバイト先で仲良くしている主婦だ)
彩は、期間限定だと自分に言い聞かせながらも父と暮らすようになり、これまで考えなかったことを考えるようになった。
外出する父が昼間どこで何をして過ごしているかだとか、そのとき何を考えているかだとか、父が作る冷蔵庫じゅうのものを入れたうどんの味だとか、自分は父が死んだとしても涙をこぼさないであろうということだとか。
一緒に居ても、求めるものは違っていて当たり前。それでもともに生きていく。家族っていったい何なんだろうな。
映画『お父さんと伊藤さん』公開中です。・・・山梨でやってない。
上野樹里、大好き。観たいな~。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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