薄い文庫本に収められた23ものエッセイは、すべて「お金」に関係している。
2005年刊行。20年ほど前に連載していたものをまとめた、角田光代のエッセイ集だ。
タイトルは、すべて金額入り。
「昼めし 977円」「電子辞書 24000円」「キャンセル料 30000円」という具合。
なぜか「,」なしの金額。
金の話ではあるが、その金額にポイントを置いてかかれているわけでもない。たとえば「昼めし…」は、その日のご飯を決めるまでの逡巡や情熱に重きを置いている。
「ヘフティのチョコレート 3000円」は、初めてバレンタインにチョコレートを買いに行ったときの闘争が。
バレンタインデーがあのように血を見る女祭りだと知らなかった。祭りは参加したほうがやっぱりたのしい。来年に向けて体を鍛えよう。チョコレートをむさぼり食いながら私はそう決意した。
「コーヒー 2.80NZドル ヤムヌア(牛肉サラダ)ごはんつき 8NZドル」」には、海外に旅したときのことがかかれていて、とても共感した。
お金を使う、というのは、もっとなんというか、生々しいことなのだと思う。彼の地でお茶一杯がいくらするのか、安食堂の食事がいくらなのか、バスの初乗り料金がいくらなのか知らずに旅行していた私は、未だに、エジプトがどんなところなのか知らない。
食事や入館料などがすべて込みのツアーだったり、経費として払ってくれるスタッフが同行する取材旅行だったりでは、その土地の物価が、今飲んでいる珈琲の値段すらもわからない。
そういった旅行では、その場所の記憶というものが薄くなってしまうとある。
本当に、そうだ。
「理想的中身 40000円」では、20年前ならでは。いきなり出かけた海辺の町には銀行はなく、財布には500円のみ。一緒にいた恋人の財布には10000円入っていたのに、青くなり足りないと焦る彼もまた笑える。
今じゃ、コンビニでお金は下せるし、電子マネーやクレジットカードでだって支払えるんだから。
40000円というのは、「年齢を四捨五入した数×10000円」がその頃、財布の中身としては理想的だといわれていたという話である。
今や、現金を持ち歩かない人がいても驚かない世のなかとなった。
「記憶 9800円×2」は、年老いた母の誕生日にと毎年小旅行に出かけていたときの話。最悪だった温泉宿のことをかき連ねているのだが。
あの最悪といっていい一泊旅行が、記憶のなかで不思議な光を放ちはじめる。
いちばん記憶に残る「お金」の使い道は、なんだっただろうと、振り返らずにはいられなかった。
お金の使い方には、その人の出発、逡巡、情熱、歴史、家族、恋などが深く刻まれているのである。
こういう大きな帯は、あんまり好きじゃないんだけど、インパクトあるよね。表紙のピンクが穏やかで、俳句風にいうと「春めきぬ」。
☆シミルボンサイトで連載中【金と泪と男と女】
こんにちは。
今日は全国的にいいお天気だたようですね。
秋田も快晴でとても気持ちの良い1日でした。
この文庫本、楽しそう、面白そう。
先日テレビドラマにもなった原田ひ香の3千円の使い方という本をちょっと意識した帯でしょうか?
お金の使い方ってその人の個性が出ますよね。
なんであの時こんなもの買ったんだろう?って思ったりすることもありますよね。
私も読んでみたい本です。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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