窪美澄のデビュー作『ふがいない僕は空を見た』は、R-18文学賞大賞の短編「ミクマリ」から始まる連作短編集だ。
高校一年の斎藤卓巳の母親は、家で助産院を営むシングルマザーだ。
産婦さんの苦しむ声はこの家のどこにいても聞こえる。ちんこを入れたときも、その結果としてできた子どもを出すときも、同じ声っていうのが不思議。お産の、って言われなきゃ、まんまAVの声だもの。そんな声を聞きながら、おれはこの家で大きくなった。
卓巳は、コミケでナンパされた12歳年上の人妻あんずと逢瀬を繰り返す。アニメのコスプレ衣装を着せられるのには閉口したが、セックスできればよかった。
同級生の松永に告白され、あんずと別れようかと考え始め、揺れる気持ちのなか、卓巳は思い出す。子供の頃、母親に山のなかの神社に連れて行かれた。「水分神社」とかかれた石柱を見て「ミクマリ」と読むのだと教わった。
「何をお祈りしているの?」
「子どものことだよ」おふくろは目を閉じたまま言った。
「ぼくのこと?」
「もちろんあんたも。ぜんぶの子ども。これから生まれてくる子も、生まれてこられなかった子も。生きている子も死んだ子もぜんぶ」
「水分神社」は「みこもり(御子守)」の意味を持ち、子どもを守り育てる霊力を持つ神として俗信されてきたという。
濃密に身体を合わせたばかりのあんずに別れ話を切り出され、傷心で家に帰ると、今日もまた赤ん坊がひとり生まれた。
おふくろが、へその緒がついたままの赤んぼうをあお向けに寝た女の人の胸元にのせたとき、小さな体の割りにはでかく見えるちんこが見えた。おまえ、やっかいなものをくっつけて生まれてきたね。
卓巳は、泣きたい気持ちで赤んぼうの泣き声を聞き続けた。
「世界ヲ覆フ蜘蛛ノ糸」は、義母に妊活を強要される、子供が産めないあんずの語り。
「2035年のオーガズム」は、新興宗教にハマった兄を持つ、卓巳に思いを寄せる松永七菜の語り。
「セイタカアワダチソウの空」は、卓巳の親友で、認知症の祖母とふたり困窮生活を送る良太の語り。
「花粉・受粉」は、卓巳の母親の語りだ。
卓巳は、そのなかであんずとコスプレ姿でセックスする動画をネット上にバラまかれていた。
登場する人たちは、みな必死に生きている。読んでいると感情移入してしまう人々だ。欠けているところも、偏ったところもあるけれど、善人なのだ。
みんなみんながんばってもがんばっても、どうにもならないものを抱えている。それでも何かをあきらめずに日々精一杯生きている。
卓巳は、切なくただただ空を見るのだった。
帯には、女性書店員7人の感想がびっしりかきこまれていました。山本周五郎賞受賞作品。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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