東日本大震災から、10年が経つ今日、彩瀬まるの長編小説『やがて海へと届く』を紹介したい。
帯にはこうある。
もう会えない大切な人。
震災で失った親友の死をめぐる喪失と再生の物語。
彩瀬まるは、10年前の3月11日、ひとり旅で仙台から福島に向かう常磐線のなか、東日本大震災に遭った。そのルポルタージュ『暗い夜、星を数えて』を出版している。
『やがて海へと届く』は、その経験があってこそ生まれた小説だ。
東日本大震災で、親友のすみれが行方知れずとなった。それから3年が経つも、真奈(28歳)はすみれの死を受け入れられない。そこへすみれのかつての恋人、遠野敦が「形見分けをしたい」とやって来た。もう、すみれを忘れてもいいことにすると。遠野の気持ちが理解できず、真奈は強く思う。
私だったら、一人では耐えられない。だから遠野くんがこの暗くてさみしい道から去るというなら、なおさら私は彼女を置いていけない。
小説は、真奈の視点と、すみれの視点をランダムに繰り返す構成になっている。
すみれは、この世ではないどこかを歩いている。
知らないはずの老婆にうちの子供だと言われたり、名前を呼ばれているのに聴こえなかったり、知らない人なのに声や匂いを覚えていたり、トートバッグのなかにはぴちぴちと跳ねる白い魚が泳いでいたり、不可解なことばかりだ。やがて、気づく。
そうだ、私は長い距離を歩いてきた。どうしても納得ができなくて。どうしても受け入れられなくて。どこにも行けないまま、恨み続けることは苦しかった。形を失い、冷たい泥となって路肩に崩れ、それでも恨むことと呪うこと、ちぎれそうになるくらいにさみしいことは終わらなかった。
だから、自分は歩き続けていたのだと。
真奈もまた、大きな痛みを抱えたまま、すみれを思い続けていた。
「あなたが欠けたままなの。ずっと探しているのに、なにで埋めればいいのかわからないの」
読みながら、まるでふたりがそろって海へと向かっているような感覚に陥る。
苦しみ続け、考え続け、真奈はそれでも精一杯生き続け、すみれもまた歩き続けていた。そして、やがて。
この小説を読むのは、2度目です。1度目は、読み進めるのが辛くて、紹介することができませんでした。でも再読し、暗く淀んだ道のりも、光あふれる広く開いた海へと続いているのだと読むことができました。
東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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