むかしのことになるが、人が怖い時期があった。
まえから歩いてくる人が怖くひとりで街を歩けなかったり、誰かが腕をあげる仕草に「殴られる!」と思いこみ咄嗟によけたりした。ただ頭を掻いただけの知らない人に、不思議そうに見られたこともある。
PTSDだったのだと思う。
その頃は、心の病に落ちた自分を責める毎日だった。
自分は弱い。ダメな奴だ。そう思いこんでいた。
韓国の女性がかいたエッセイ集『家にいるのに家に帰りたい』には、その頃の自分に掛けてあげたいような言葉が並んでいた。
もっと特別な理由やものすごい事情がなければ、心から悲しんではいけないの?
年若い彼女は、ドアノック恐怖症だという。
それを読み、もしかしたら彼女もわたしも、想像力がとても豊かなのかもしれないとちょっと笑った。
いくつか引用してみよう。
わたしは水の中に棲む魚だけど、雨に濡れるのは嫌いです。
人生は矛盾の連続。自分の心さえ、ままならない。
いまは知っている。誰かを憎む心は、結局自分を傷つけるだけだということを。
後ろ向きなときも、前に進めない時期もある。
自分という紙のしわをきれいに伸ばし、わたしだけの色で絵を描く、しわくちゃにならない夢。
それでも、ダメにならない勇気を持つこと。
思いを手紙で届けるなら、ずっしりと重い心をふわりと軽く伝えたい。
失くした恋についても、苦しみながらかかれていた。
「恋人同士は似ている」というけれど、たぶんそれは、愛する人を真似しているから。
そして、新たな恋。
タイトルの意味は、想像していたのとは違っていたけれど、末娘と同じ年の韓国人女性の言葉に出会えてよかったと思う。
シミルボンサイトのDisco Wednesdayyyさんの記事【洪水のように押し寄せる言葉の数々、たくさんの共感する感情を得た気がする。】を読んで知った本です。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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