対岸の火事【たいがんのかじ】
《向こう岸の火事は、自分に災いをもたらす心配のない意から》自分には関係がなく、なんの苦痛もないこと。対岸の火災。
デジタル大辞泉より
で、タイトルは「対岸の火事」ならぬ『対岸の家事』である。
主人公の詩穂は、14歳のときに母親を亡くし、それからずっと家事をやってきた。
まじめなサラリーマンである父親は、家事をまったくせず、詩穂がアイロンをかけたワイシャツを着て、詩穂が磨いた靴を履き、食べ終えた朝食の食器もテーブルに置いたまま出かけていく。冷凍食品を出せば「こんなものは食べられない」と外に食べに行ってしまう。詩穂がそのために部活を辞めたことも、受験勉強ができなかったことも、父親からすればしょうがないことだった。
家事は、父親にとってまさに「対岸」。自分には関係のないことなのだ。
一日でいい。誰かにご飯を作ってもらいたかった。
今晩のご飯はお父さんが作った。この四年間、お母さんの代わりによく家事を頑張ったね。さあ座りなさい。美味しいかどうかわからないけど、これでも精一杯やったんだ。
そんな日が一日でもあったなら、父を置いていこうとは思わなかっただろう。
高校卒業と同時に、父に内緒で美容学校の寮に入った詩穂は、父との連絡を絶った。父が娘よりも、家政婦を欲しているのだと知っていたからだ。
詩穂は今27歳。居酒屋に勤める虎朗と結婚し、2歳の娘、苺を育てる専業主婦だ。
しかし、ワーキングマザーたちに「イマドキ専業主婦なんて、絶滅危惧種だ」と言われ、愕然とする。公園に行けばママ友ができた時代は終わったらしい。
同じマンションに住む2人の子育てに翻弄されるワーキングマザー、礼子。
公園でパパ友になった2年間育休取得中のエリート公務員、中谷。
妊活中の小児科医の妻で姑や患者にプレッシャーをかけられるもと保育士、晶子。
夫を亡くし70歳でひとり暮らしだが、いまだ40歳の娘の世話を焼く坂上さん。
詩穂だけではなく、それぞれが家事と育児という終わりなき戦いのなかで、孤独という穴に落ちていく。
そんなとき、詩穂の家のポストに怪文書が投函された。
〈主婦は社会のお荷物です。この世から消えてしまえ〉
詩穂が、「どんなに遅く帰ってきても、話を聞いてほしい」と、虎朗に求めていた約束が、印象的だった。
さて。あなたは、パートナーの話を聞いていますか。
「また子供の話か」と、うんざりした顔をしていませんか。
「晩飯のことしか考えられないのか」と、呆れたように言い放っていませんか。
子供の話は育児を、夕飯の献立は家事を担う者にとって、会社で抱えている大きなプロジェクトと同じく仕事の話なんです。
孤独という穴は、一見何もないように見える家のなかに、音も立てず口を開けていくものなのですよ。
『わたし、定時で帰ります』の著者が描く、もう一つの長時間労働。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
*このサイトの文章および写真を、無断で使用することを禁じます。
管理人が承認するまで画面には反映されません。