”大人の恋”を描いた朝倉かすみの長編小説。
青砥健将と須藤葉子は、中学時代の同級生。たがいに初恋の人だと自認しているがつきあったことはない。再会したふたりは、50歳。ともに一度結婚し一度離婚し、今は独身だ。
だが物語は、須藤の死を青砥が知ったところからスタートする。
語りは、青砥だ。
病院だったんだ。昼過ぎだったんだ。おれ腹がすいて、おにぎり喰おうと思ったんだ。おにぎりか、菓子パンか、助六か、なんかそういうのを買おうと売店に寄ったら、あいつがいたんだ。
こんなふうな独特の語りだ。
再会してすぐに誘ったのは、須藤だった。
「どうってことない話をして、そのとき、その場しのぎでも『ちょうどよくしあわせ』になって、おたがいの屈託をこっそり逃がすやつ。毎日会うんじゃなくて、各自の屈託がパンパンになりそうになったら連絡を取って、『やーやーどーもどーも』って寄り合って、「イヤ、しかしなんだねぇ」みたいな感じで無駄話する会を結成したいのだけれども」
ふたりは”互助会”で、飲んではこれまでのことをしゃべっていく。
なぜ故郷に戻ってきたのか、なぜ離婚したのか、今どんな暮らしをしているのか。
居酒屋飲みは金がもたないという須藤の提案で、家飲みに移行したふたりは、贅沢ができるような暮らしぶりではなかった。
青砥は、務めている印刷会社の派遣老人ヤッソさんともたまに飲む。
ヤッソさんと話をしていると、ここは平場だ、と強く感じる。おれら、ひらたい地面でもぞもぞ動くザッツ・庶民。空すら見たり見なかったりの。
そんな青砥にとって、須藤は”月”だったに違いない。
同じ日に、青砥は胃の、須藤は大腸の検査結果を待つ。青砥は異常なしだったが、須藤は大腸癌だった。それからも青砥は須藤を受け入れ、寄り添っていく。
だが須藤は。
章立てのタイトルが、またいい。
すべて、須藤の言葉を抜き出している。たとえば。
「夢みたいなことをね。ちょっと」
「ちょうどよくしあわせなんだ」
「話しておきたい相手として、青砥はもってこいだ」
かたくなな心を持つ大人たちに放つ、優しい”恋”の物語。
山本周五郎賞受賞作。映画はまだ、詳細が発表されていないようです。
『田村はまだか』は、4年前に再読していました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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