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はりねずみが眠るとき

昼寝をしながら本を読み、ビールを空けて料理する日々

『恋しくて』(1)

村上春樹セレクトの短編集『恋しくて Ten Selected Love Stories』(中公文庫)を、読んでいる。もちろん翻訳も村上春樹だ。

翻訳した短編小説は9編でラスト1編は彼の書き下ろし。タイトル通りラブストーリー10編のセレクトだ。★の数で恋愛甘苦度を表示しているのが、如何にも今風である。そのなかからマイセレクトした何編かを紹介していこうと思う。

 

まずは、マイリー・メロイの『愛し合う二人に代わって』甘み★★★★苦み★

 

背が高く痩せて内気で不格好なウィリアム。取り得はピアノだけ。彼は高校時代からずっと、ブライディーに恋している。ある日弁護士である彼女の父親が二人に話を持ちかけた。代理人結婚式の代理人を務めてほしいと。彼らの住むモンタナは花嫁と花婿二人ともが出席せずとも代理人によって結婚式を挙げられる唯一の州だったし、イラク戦争が起こり離れ離れになっている恋人たちが大勢いた。ウィリアムは胸を痛めつつも、ブライディーといく度も結婚式を挙げ続ける。そのうち住む場所も、夢も、恋人も変わっていったが、故郷に戻った二人はふたたび代理人結婚式をスカイプ中継しながら挙げることになった。以下本文から。

 

「これでもうあなたたちは夫婦なのよ」とブライディーは言った。

「『新婦に口づけしてよろしい』と言いたいところだけれど」

ナタリーは涙で乱れたメイキャップをなんとか救おうとしていた。

「なんですって?あなたたちはそんなサービスもしてくれないわけ?」

「いや、僕たちはそこまではしていない」とウィリアムはきっぱりと言った。

「ねえ、お願いよ」とナタリーは言った。

「結婚式だもの、やっぱりキスで締めくくらなくちゃ。私はげんを担ぐタイプなの。箒を飛びこえてと頼まないだけ、まだありがたく思ってほしいわ」

ウィリアムは困惑した顔でブライディーを見た。

「僕らは箒を飛びこえろといわれれば――」彼はそう言いかけた。

それは唐突でありながら、あくまで自然な成り行きだった。磁力に引き寄せられると言えばいいのか、だいたいそこまで接近した二つの唇が合わさらないでいることこそ不自然ではないか。ウィリアムは目を閉じ、ブライディー・テイラーに口づけをしていた。実に信じられないことだ。彼女の唇は柔らかく、温かく、何か甘いものの匂いがした。微かにぴりっとした匂いも混じっていた。たぶんジンジャーだ。その髪の中にある匂いだった。

 

決して成就することはないと知りながらも、胸に灯ったあかりを消すことができずその温度を微熱のように保ち続ける恋。若い頃に胸の奥に灯っていたその温度を、なつかしく思い出した。微熱は、微かに温かく今でも残っている。

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表紙の絵は、竹久夢二「黒船屋」です。大正8年に描かれたものだそうです。

最近文庫化された『女のいない男たち』の読後雑感は → こちら

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PROFILE

プロフィール
水月

随筆屋。

Webライター。

1962年東京生まれ。

2000年に山梨県北杜市に移住。

2012年から随筆をかき始める。

妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。



『地球の歩き方』北杜・山梨ブログ特派員

 

*このサイトの文章および写真を、無断で使用することを禁じます。

 

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