切なくて、やりきれなくなる。
これはわたしだ、と思うシーンがいくつも散りばめられていた。
辛い出来事の渦中にいる人を描いた6編が収められていた短編集だ。
サブタイトルはすべて植物に関連していて、枯れかけた植物(家族)がテーマ。水やりを忘れていたのか、できずにいたのか、もう命が尽きるかという深夜になってようやく水が撒かれるのだった。
「ちらめくポーチュラカ」
30歳の〈私〉は5歳の有君のママだ。中学時代いじめを受けたことから女たちに嫌われない練習をしようとブログをかき始める。
私はブログに作り上げた自分を、幼稚園のママの前でも演じた。ママたちは演じた私を好きになってくれた。これは皆の前であらわさないほうがいい。そう思った感情はすべてのみこんだ。けれど、のみこんだ感情は今にも決壊しそうになっている。
「サボテンの咆哮」
産後うつになって実家に助けを求めた妻。〈おれ〉だってちゃんとやってきたのに。
「仕事もせいいっぱいやってんだ。休みの日だって、章博の面倒みてるつもりだよ。それの何が不満なんだよ。仕事も、家庭のことも、子育てのことも、全部完璧にできる父親なんているかよ。なんでできないとこだけ見るんだよ」
「ゲンノショウコ」
知的障害を持つ妹がいた〈私〉には、5歳の風花がなにをやっても遅いことが心配でたまらない。幼稚園のクラスメイトに知的障害児の兄がいることを知り、その子と母親に冷たい態度をとってしまう。
「砂のないテラリウム」
娘を産んでから、妻は変わってしまった。淋しい気持ちから、〈ぼく〉は大学時代の友人にそそのかされ、合コンで知り合った女に心を寄せる。妻が貧血で倒れた夜、泣き続ける娘と散らかった洗濯物にうんざりしながらシンクに溜まった食器を洗う。
ぼくは今日、彼女とゆっくり酒をのんでいるはずだったんだ。なのに、なんで。一週間、死ぬほど働いた。今日の、夜のために。
「かそけきサンカヨウ」
高校生の陽〈私〉は、父と再婚相手と連れ子である4歳の妹と暮らし始めたばかりだ。穏やかな暮らしのなかにも違和感はあり、ずっと会っていなかった血のつながった母に会いに行こうと考える。
「ノーチェ・ブエナのポインセチア」
ノーチェ・ブエナは「聖夜」のこと。陽のボーイフレンド陸が主人公。心臓の手術をし、激しい運動が禁じられた〈僕〉は、自分の心臓にも、仕事で外国にいる父にも、心臓のことで母をとがめる祖母にも、なにも言い返さない母にも憤っていた。
世のなかにはすべてうまくいっている家族なんて、ないのかもしれない。
水はやりすぎてもダメになる。枯れてしまってから気づくこともある。危うい家族たちにようやく足もとを照らせるだけの薄い光を見いだした家族小説集。
子供の写真の表紙は、家族小説という括りから持ってきたのでしょうか。サンカヨウとポインセチアに出てくる4歳のひなたちゃんを連想します。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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