大好きな作家のひとり、北村薫の短編集。
表題作の「遠い唇」は、北村薫作品のなかでも、もっとも好きなタイプの短編だった。
大学教授の寺脇は、半世紀近く前に聞いた俳句を、不意に思い出した。珈琲の匂いに誘われるように、浮かんだのである。
大學に来て踏む落葉コーヒー欲る 草田男
コーヒーを欲することを、コーヒー欲る(ほる)とする言い方があるという。
思い出したのは、俳句というより、ある女性のこと。大学時代ミステリサークルでひとつ先輩だった、美しい字をかく、その字が体を表すというような美しい憧れの女性、長内先輩だ。
年老いた宮脇は、ひとりの部屋に帰り、ミステリサークルの同人誌を開いた。7円切手を貼った追い出しコンパの案内葉書が挟んであり、宛名は、長内先輩の美しい字でかかれている。
そして、読み解くことができなかった暗号が、やはり彼女の字でかかれていた。
AB/CDE/FGHI/JKLMK/NMJKCDOの雪/FIPJQKRK/SMTUIJQKRK/だからRGEHSK・TNLT
寺脇は、解こうという気になる。半世紀前よりも、情報も知識もある。
その謎解きの答えとは。
「しりとり」にも、俳句が登場する。
編集者の死んだ夫が病室で残したという、謎解きだ。解くのは作家である。北村薫自身のようにもとれるかき方だ。
しりとりや駅に かな
この俳句の真ん中に、和菓子の黄身しぐれが置かれていた。
〈俳句やってるんだろ、分からないかい〉
病の床にあった夫は、にやにやしながら妻にいう。さて、完成した俳句とは。
わたしは、恋人をパトラッシュと呼ぶ「パトラッシュ」。
宇宙人が『走れメロス』『吾輩は猫である』『蛇を踏む』を読み解く「解釈」。
江戸川乱歩へのオマージュ「続・二銭銅貨」。
『八月の六日間』の主人公の心模様を描く「ゴースト」。
『冬のオペラ』の20年後に事件が起こる「ビスケット」。
など、彩り豊かな7編が収められている。
「ビスケット」以外は、殺人事件は起こらない。北村薫の切なく温かい、珈琲を飲みたくなるようなコージーミステリ集。
珈琲の香りが漂ってきそうな表紙絵ですね。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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