「カラカラ浴場」からスタートした「アッピア旧街道」巡り。
この道は、紀元前312年に執政官アッピウスにより敷かれたローマで最初の「執政官道路」で、初の「排水設備を施した完全舗装の2車線道路」だ。
すべては1日ではムリなので、10㎞ほどをバスと徒歩で巡ることにしていたのだが、初っぱなから、やらかした。わたしが、である。
「あれ? 次のバス停『サン・セバスティアーノ門』だよ。降りなくちゃ」
「え、まだのはずだよ」
「だって、かいてあるもん」
Googleマップを操る夫をせかして、バスを降りた。
ところが、その辺りのバス停はほとんどが「サン・セバスティアーノ門」と名がついていて、ずいぶん手前で降りてしまったのだ。
「もう! 信じらんないよ」
「ごめ~ん」
そんなこんなで予期せず石畳が始まるスタート地点から、1㎞ほど余分に歩くことになった。
さらに1㎞ほど行くと「ドミネ・クォ・ヴァディス教会」に到着。教会の名の由来は、『地球の歩き方ローマ』から引用しよう。
伝説によれば、使徒ペテロが迫害の激しいローマを去っていく途中この地に差しかかると、彼の前にキリストが現れた。「主よ何処へ」Domine quo vadis? との問いにキリストは「ローマへもう一度十字架にかかるために」と答え、ペテロはすべてを悟ってローマへ引き返し、逆さまにされ磔にかかったといわれている。
ペテロの問いが、教会の名となったという。
そこには、大理石に「キリストの足跡」が残されていた。
訪れた人が、代わる代わる、その足跡に掌をそっと当てている。
そのとき、夫が小さく声を上げた。
「さっきより、足跡がはっきり見える」
「えっ?」
光の加減なのか、見る方角なのか、足跡が浮かび上がるようにくっきりと見えてきた。
「まさか、さっきの人たちが手を当てたから?」
「まさか。でも、ほんとにくっきりと見える」
古代ローマ時代、みな旅路のぶじを願いこの足跡に手を当てて行ったという。数多くの人々の熱が、願いが、この大理石を通り過ぎていったということか。
小さな失敗も、気持ちのすれ違いも数々あれど、わたしたちもローマに、数え切れないほどの見えない足跡を残してきたのだと、ふと思った。
石畳とアスファルトの分岐点にも、マイルストーンらしきものがありました。
気を取り直して、ほんとうの石畳スタート地点から歩き始めました。石畳がきれい。
10分ほど歩くと、カラカラ浴場まで水を供給するための水道橋を支えていた「ドゥルーゾの門」が。
すぐに、夫が予定していたスタート地点「サン・セバスティアーノ門」へ到着。
「いい道を歩けたね」と、わたし(笑)
「まったくね」と、夫。
アッピア旧街道に、1マイル(1609m)ごとに置かれていた第1マイルストーン。これ1本しか見当たらなかった。
正式名称は「サンタ・マリーア・イン・パルミス教会」ですが、「ドミネ・クォ・ヴァディス教会」として知られています。「パルミス」とは「イエスの足の裏」という意味だそうです。
主祭壇左には、逆さ十字架に掛けられたペテロが描かれています。
「キリストの足跡」です。浮き上がるように見えてきました。
これは大理石にとられたコピーで、オリジナルは近くの「サン・セバスティアーノ聖堂」にあるそうですが、見る人にとっては本物も複製もないのかも。
ふたたび歩き始めました。当時の石畳は大きめの丸い石ですが、歩道まで整備されていたというからすごい。
「マクセンティウスの競技場」。
青い空が広がって、とても気持ちのいい場所でした。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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