旅の最後に、アッピア街道を歩こう。
ということで、スタート地点である「カラカラ浴場」へと向かった。
カラカラ帝が2世紀に造った、巨大な浴場だ。風呂だけではなく、更衣室はもちろん、トレーニングのためのアスレチック施設や、今でいうサウナまであり、スポーツジム付きのスーパー銭湯とも言える。
いや。風呂はアートに囲まれ、手入れされた庭を歩いたり、会議や講演を聴く広間もあって、もうスーパー銭湯どころではない大規模娯楽施設だ。
「そんな大昔に、健康に気づかってジムに通おうとか、サウナがいいらしいとか、考えていたんだねえ。建物造るのにも、人の手で石を運んでた時代でしょ」
「肉体労働をするような身分の人たちと、ジムで汗を流して風呂につかる人たちとがいたってことだよな」
想像が追いつかず、映画『テルマエ・ロマエ』は、事実だったと考えた方がまだ信憑性があるような気がしてしまう。
「それにしても、カラカラ帝はすごいよなあ」
夫は、しきりに感心していた。
「巨大な建築物を造って歴史に名を残した人は多いけど、巨大な風呂を造ったのはカラカラ帝ただひとりだもんな」
たしかに。
そして、ふたりともたぶん同じことを考えていた。
ローマのゲストハウスには浴槽がない。動くと壁に腕が当たるほど狭いシャワールームのみ。そのシャワーの出も安定していない。
「ゆっくりと、熱い風呂につかりたいな」
これだけ大きな入浴施設の遺跡を残すローマでは、風呂につかる習慣はないのだろうか。それともゲストハウスやB&Bに設置していないだけなのか。
トイレ事情は腑に落ちたけれど、風呂については謎のままだ。
いきなり現れた遺跡の大きさにびっくり。オペラも開催されるそうです。
人がいるのを見ると、また大きさに圧倒されます。
木の上に石を乗せたこれは、当時のアートなんだとか。現代アートっぽいなあ。
歩くたびに、風景に驚きが沸き起こりました。
当時のモザイク画も残っていました。
モザイク画を観ている人が、小さい!
色のついた石を床に敷き詰めて、部屋ごとに違う模様を作っていたようです。
コンピューターも機械もない時代に、人の手によってひとつずつこんなモザイク画を作っていったのだと思うと気が遠くなります。
高いところにも、彫刻が残っていました。細かい彫刻に被われていたのでしょうか。いったいどうやって造ったんだろう。
空の青さが、遺跡の大きさを際立たせていました。
笠松も、小さく見えますね。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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