ウンブリアの魅力に名残惜しくなり、アッシジから予定外にペルージャまで行こうということになった。アッシジから電車で15分ほどだというから、立ち寄らなければ後悔すると思ったのだ。
ペルージャといえば、サッカー日本代表だったヒデ(中田英寿)が在籍していたチームがある、ということで日本では名が知れた街だ。
ヒデは、わたしが暮らす明野の隣町、韮崎高校で高校生活を送っていた。息子が通った高校でもある。彼は、ペルージャで暮らし始めた頃、ここは山梨と似ていると言っていたという。
アッシジに向かう車窓からの風景は、途中からどんどん中央線から見る風景と似ていった。連なる山々のふもとに家々が建ち並ぶ小さな田舎町が、繰り返し流れてゆく。
「これは、似てるわ」
「たしかに、似てる!」
「ここで、韮崎駅に降り立っても違和感ない感じ」
「瞬間トリップして、そのまま家に帰れそう」
などと会話し、アッシジへ降り立ち、思う存分楽しんで、その勢いでペルージャへ向かうことにした。ところが。
バスが、来ない。
Googleさんは「朝10時にアッシジの中心街からペルージャ中心街まで向かうバスが出る」と検索結果を出していたのですっかり信用しきっていたのだが、バスの運転手に訊くと、あっさり言われた。
「14時過ぎまで、来ないよ」
そうなると、アッシジ駅までバスに乗り、電車でペルージャへ向かい、そこからまたバスに乗って中心街へと行くしかない。15分どころか1時間以上かかる。
そのうえ、ペルージャ駅前は工事中で、バス乗り場がわからない。Googleさんも、お手上げだ。
すると、夫が上を見上げて言った。
「あれに、乗ろう」
魔法の絨毯か? と見上げると、モノレールのようなものが走っている。Googleさんも提案しなかった新しい乗り物「ミニメトロ」だった。
魔法の絨毯ならぬミニメトロは、スイスイとやって来て、スイスイとペルージャ中心街まで運んでくれた。
旅に、失敗やトラブルはつきもの。けれどそういうときには、その地点に立って、すべてをリセットし、これからどうするかを考えればいいのである。
ペルージャ中心街「イタリア広場」近くの高台から見下ろした街並み。違うんだけど、似てる。この感覚は暮らした人にしかわからないかも。
味わいある街を、ただ歩きました。
坂の下にあった「アウグストゥスの門」は、紀元前3世紀エトルリア時代の城壁の門だったそうです。
今は、ペルージャ外国人大学の校舎に続く門になっています。
13世紀から15世紀半ばのペルージャが最も繁栄した時代に建てられた「デイ・プーリオ宮」。
その近くを歩いたときに見つけたワインバーで、夕食をとることにしました。
2階の「ボッテガ・デル・ビーノ」です。
めっちゃ素敵なワインバーでした。
赤いキュートなオート三輪発見。
帰りも、ミニメトロで帰りました。ミニというだけあり、座席も10席ほどの一両で走ります。赤が可愛い。自転車も乗れるんだね。
けっこう頻繁にすれ違います。
ミニメトロの駅です。
ペルージャ駅とつながっていました。早く言ってよ、って感じ。
ペルージャからは、鈍行の旅。車窓からも山梨とにた風景に、何度も「似てるね~」と口にせずにはいられませんでした。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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