7月の句会。兼題は、「短夜(みじかよ)」「時鳥(ほととぎす)」。
「短夜」は、夏の時候の季語。傍題に、「明易し(あけやすし)」「明易(あけやす)」などがある。
夏は夜が短く、暑さで寝苦しいのでたちまち朝になる。明けやすい夜を惜しむ心は、こと後朝(きぬぎぬ)の歌として古来詠まれてきた。
『俳句歳時記・夏』より。
短夜や水底にある足の跡 村上鬼城
わたしが感じた「短夜」のイメージに近い句。短夜の夢のなかか、うつつか。揺らめく水底に、いつのものか、誰のものかもわからない足跡がある。それだけで夢のようにも思える。
わが消す火母が灯す火明易き 古賀まり子
宵っ張りの自分と早起きの母。その対比に、ユーモアとペーソスを感じる句。
「時鳥」は、夏の動物の季語。
昼夜の別なく一種気迫のある鳴き方をし、「てっぺんかけたか」「本尊かけたか」「特許許可局」その他いろいろに聞きなす。古来、激しい鳴き声を「帛(きぬ)を裂くが如し」といい、鳴くときに口中の鮮紅が見えるので「鳴いて血を吐くほととぎす」という。
『俳句歳時記・夏』より。
ほととぎす寂寥のその底知れず 黒田杏子
寂寥(せきりょう)とは、もの淋しい様や感じを表す言葉。静けさのなかにいて、押し寄せてくる底知れぬ淋しさ。一瞬おいて、時鳥が鳴き始めた。さらにその寂寥は、深みを帯びていく。
ほととぎす平安城を筋違(すじかい)に 蕪村
現代語訳すると「時鳥が鳴きながら、平安京の碁盤の目の街を斜めに飛んで行った」という感じらしい。碁盤の目のような京の街を、その四角四面な人間が作った街をまるで笑っているかのように、斜めに颯爽と突っ切る時鳥。痛快だ。
わたしの句は、こちら。
山裾に広がる棚田時鳥
先週くらいまで、毎朝4時に鳴き始めていた時鳥。松の木々の上を、里山の屋根を遥かに見下ろして、棚田上空を悠々と飛んでいるのだろうなあと想像して詠んだ。季節はもう移り変わり、蜩の声が目覚ましとなっている。
8月の兼題は、「新涼」「朝顔」。
そういえば、朝顔の花を、もうずいぶんと見ていない。

週の初めの朝、不思議な感じの雲がウッドデッキから見えました。

すぐに、解(ほど)けていってしまいました。

明野町の山裾に広がる棚田。

特に名もない、バス通りから見える棚田です。

遠くに、ぽつんと案山子ひとりが見えました。

夕方、家の2階の窓から観た八ヶ岳。

ここから見える風景も、棚田といえるのかな~

八ヶ岳も雲も、かっこいい。

随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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