江國香織の恋愛小説『ウエハースの椅子』(ハルキ文庫)。
〈私〉は、よく子どもの頃のことを思い出す。例えば。
子供――近所にいる「おともだち」たち――と一緒にいるよりも、大人と一緒にいる方がずっと好きだった。紅茶に添えられた角砂糖でいるのが、たぶん性に合っていたのだろう。役に立たない、でもそこにあることを望まれている角砂糖でいるのが。
それから。
小学校のころ、私はスパイごっこをしていた。小学校を、スパイごっこをしてやり過ごした。スパイごっこについて、私は誰にも打ち明けたことがない。私は一人きりでそれをしていた。
どういうものかというと、私は大人で、スパイで、任務のために小学校に潜入している、というつもりになるのだ。そう思うと客観的でいられた。私はここに属しているわけではない、と、思えた。
そんな〈私〉が大人になり、恋をした。〈私〉を信じられないほど幸福にしてくれる優しい恋人。彼には、妻と息子と娘がいる。にもかかわらず、私と恋人は幸せであり奔放だ。
いままでにたくさんの場所にでかけた。フィリピンや、カンボジア、カナダ、アリゾナにも。私たちはどちらも会社につとめていないので時間が自由に使えるし、私の恋人は比較的お金がある。私たちはどこにでもいくことができる。私が「閉じ込められている」と感じることは、恋人には不当に思えるかもしれない。
しかし、私は絶望もしていた。
かつて、私は子供で、子供というものがおそらくみんなそうであるように、絶望していた。絶望は永遠の状態として、ただそこにあった。そもそものはじめから。だからいまでも私たちは親しい。
やあ。
それはときどきそう言って、旧友を訪ねるみたいに私に会いにくる。やあ、ただいま。
死、さえ考える。
死は安らかなものだ、と、私と妹は考えている。あるいは、そう考えることに決めている。それはいつか私たちを迎えに来てくれるベビーシッターのようなものだ。私たちはみんな、神様の我儘な赤んぼうなのだ。
そして、かなしみについても。
かなしみ。
私はそれについて考えている。それについて、はっきり考えて見きわめようとすればするほどそれは珍しい植物か何かのように思えて、ちっともかなしくない気がしてしまう。それは厳然として目の前にある。私はこの部屋で、その珍しい植物を育てているのだ。
身を切るように切なく、しかし透き通った言葉たちが悲しく美しく揺らめいているかのような小説だった。「不倫」という言葉は、一度も出てこない。「愛人」とも言わず「恋人」と呼んでいる。この美しさは、不倫を語る上では反則かも。
特別カバー付きでした。左側の普通版文庫カバーの方が好きです。〈私〉は、いつも柘榴(ざくろ)の匂いがするボディシャンプーを使っていました。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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