写真には撮れない季語は、数多くある。
例えば「秋風(あきかぜ)」は、秋の天文の季語。「秋風(しゅうふう)」「秋の風」「金風」「素風」「色なき風」「爽籟(さうらい)」などの傍題がある。
秋の訪れを告げる「秋の初風」から、晩秋の蕭条とした風まで、秋の風にはしみじみとした趣がある。
*「蕭条(しょうじょう)」は、もの寂しく感じられるさまをいう。
『俳句歳時記・秋』より。
金風・素風は、陰陽五行説で秋は五行の金にあたり、色は白を配するところからきた語。色なき風は華やかな色がない無い風の意。
また、爽籟は、爽やかな秋風に草木がさやさや揺れる音からも秋の気配を感じるという意味だそうだ。
使ったことのない日本語、満載だ。
物言へば唇寒し秋の風 芭蕉
芭蕉が座右の銘としていた諺〈口は災いの元〉を、「秋の風」を置き詠んだとも伝えられる句。
「口を開いたら寒々しい秋風に唇が冷たくなった」という、単に情景を詠んだ句にもとれるところが素晴らしい。
淋しさに飯をくふなり秋の風 一茶
淋しくて飯を食う。飯を食っても、まだ淋しい。季語「秋の風」に切なくなる。
機を織る色なき風の中に坐し 日原傳
モノクロの情景が広がっていく句。
こちらは、昨年、句会を欠席したときに詠んだわたしの句。
土手渡る色なき風や沈下橋
石造りの沈下橋は、写真を見ると青空と川面の光、木々の緑が色鮮やかだったりもするけれど、イメージのなかではモノクロだった。水害時に水嵩が増した川に沈む「沈下橋」という言葉に、無意識下にその”絵”を見ているのだろう。
季語もそうだが、言葉ひとつひとつにも、思い描かざるをえないイメージが、きっとあるのだ。
風は写真に撮れない、あるいは撮ることが難しいので、家の東側の隣の森を撮ってみました。この道の左側になります。
秋風に、草や葉は揺れていました。
この森を隔てたお隣さんの家に入る道。
木々には、蔦が絡まっています。
友人と歩いた蔦温泉の森を、思い出しました。
四万十川を旅したときの沈下橋の写真です。
随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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