庭の南天の実が、真っ赤に色づいている。
「南天の実」は、秋の植物の季語。傍題に「実南天」「白南天」などがある。
億年のなかの今生実南天 森澄雄
この句を読み、じっと見つめていると、真っ赤な実のひとつひとつが星のようにも思えてくる。繰り返す植物の営みに比べれば、人の一生は短い。
先輩のいつも控へ目実南天 桜井葉子
ミュンヘンオクトーバーフェストツアーでご一緒したお二人を思い出した。控えめな先輩とおおらかな後輩くん。先輩は、そうか。南天の実か。
おもかげの誰も足袋履く実南天 岡本眸
思い出せば、みんな足袋を履いていた。足袋の白と南天の実の赤のコントラストが美しい句。
たましひの抜けしにあらず白南天 片山由美子
赤い南天の実を見慣れているからこそ、白い南天の実は、なにかが抜け落ちたようにも見える。「魂」と詠んだところに惹かれた句。
同じような南天の実を見ても、思うことは、人それぞれだ。
何かを思い出す入口のようなものを、南天の実は携えているのかもしれない。

真っ赤に色づいた南天の実。

青空と南天。葉も紅葉したところと緑のところがあります。

秋の季語ですが、この赤、お正月の色という感じがします。

まばらに生ったところもまた可愛い。

トイレの一輪挿しに、活けました。

10日ほど前に出かけた「敬泉寺」隣、方代の生家の南天。たわわに実っていました。

一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております 方代
一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております 方代
この歌、いいなあ~。
こんな風にさらりと歌にすることができるのは 時間が経ったからなのかな~。
南天の実はわかっていたんですね。素敵だな~。

随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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