『枕草子』の冒頭「春は曙やうやうしろくなりゆく山際……」は、知られすぎているほど有名だが、「春暁(しゅんぎょう)」は、三春の時候の季語。
春の夜明け、東の空がほのぼのとしらみかける時分。暁(あかつき)は古くはまだ暗い暁闇(あかつきやみ)を意味したが、現在では曙(あけぼの)とともに、やや明るくなったときをいう。
『俳句歳時記・春』より。
傍題に「春の暁」「春の曙」「春あけぼの」「春の夜明」「春の朝」などがあるが、「春の朝」は、春暁の時を過ぎ、すっかり夜が明けきってからをいうそうだ。
春暁の眠るでもなき刻しばし 吉田成子
目覚めてから、身体を起こすまでの時間。最近はそれが長く、本を開くときもあるが、冴えきったような感覚のなか何を考えるでもなく過ごすことも多い。静かに共感した句。
「春暁」は、孟浩然(もうこうねん)の漢詩「春眠暁を覚えず」でも知られるように、眠りから覚める心地よい時間帯をイメージさせる季語でもある。
春暁の竹筒にある筆二本 龍太
龍太は『飯田龍太自選自解句集』で、太い竹を自身で切っただけの簡素な竹筒であり、切り口から竹の匂いがするそれに新しい筆を二本入れたと記している。この句については、”慾のない句”と自解していた。
「春暁」という季節の言葉は、おのずから浮かんだもので、この際、いちばんひと気のない、慾のすくない言葉に思えたからである。
「見る」ことも、あるいは「感ずる」ことも忘れて、あるものをあるものとして表現するのも私にとって俳句のたのしみのひとつである。加えることも取ることも出来ないありのままの姿に俳句の簡素なよろこびがある。
いちばんひと気のない、慾のすくないという季語「春暁」が、少し見えてきた。
春暁の我が吐くものの光り澄む 石橋秀野
春暁の美しい光りと、命を感じた。「我が吐くもの」は、吐息だろうか。ほかの何かか。38才で病死した女流俳人の句であり、絶筆となった緊急搬送時に詠んだという句は知っていた。
蝉時雨子は担送車に追ひつけず 石橋秀野
子供は幼い女の子だったそうだ。自分の死をも客観視し、死の間際まで俳句を詠んでいたとは。
春あけぼの川舟に隕石が墜ちる 金子兜太
どの句とも、まったく趣が違う句。春の明けていく空の明るさに、隕石が落ちてくるような感覚に陥ったということだろうか。日常と非日常が対比された、兜太らしい自由でダイナミックな句と評される。
春の夜が明けていく瞬間。様々捉え方がある。たぶんそれは、日々ひとりのなかでも変化していく。

朝7時前。新聞を取りにいき、東の空を眺めました。

きのうは、太陽も雲のなか。

西を振り返って。

北の空。

リビングから見た北側の風景。八ヶ岳も雲のなかにいました。

随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
*このサイトの文章および写真を、無断で使用することを禁じます。
管理人が承認するまで画面には反映されません。