今年は、秋がなかった。”暑い”から”寒い”に変わり、”涼しい”がなかった。
そういう声を、あちらこちらで耳にした。
「暮の秋」は、晩秋の時候の季語。
同じ時期の時候の季語に「行く秋」「秋深し」がある。
秋も終わり近い頃をいう。秋の夕暮ではない。「晩秋」より心理的な要素を含む。「暮の秋」「行く秋」「秋深し」の順に秋を惜しむ気持ちが濃くなる。
きごさい歳時記より。
風紋をつくる風立ち暮の秋 鈴木真砂女
風によって地表に形成される砂紋、風紋。そんな風が立つ瞬間を捉えた句。秋が果てようとする瞬間を、そこに見出したのだろうか。
行く秋や抱けば身に添ふ膝がしら 太祇
身に沁みるというのは、こういうことを言うのだろうか。人の身体に温もりがあればこその淋しさを、表現しているのだと思った。
秋深き隣は何をする人ぞ 芭蕉
俳句を始める前から知っていた有名句。
晩秋の静けさのなか、隣人への関心を言葉にすることでいっそう深まる人恋しさを表現したといわれている。
歳時記には、
「暮の秋」秋がまさに果てようとする意。
「行く秋」秋の終わろうとする頃。
「秋深し」秋もいよいよ深まった感じ。
とあるが、この違いは難しい。この順に秋を惜しむ気持ちが濃くなる、ときごさいにはあったが。そして「秋惜しむ」は、さらに秋を惜しむ気持ちが強くなるということなのだろうか。
「秋惜しむ」過ぎゆく秋を惜しむこと。
秋惜しみをれば遥かに町の音 楠本憲吉
風がつくる砂のかたち。身体の温もり。隣人を気にかける自分。遠く聞こえる音。
どれもどこか、淋しげだ。

一昨日の八ヶ岳。「ハイジの村」近くの農道から。

霞んでいた空気が澄んで、山の奥行きが深く見えるようになってきました。

南アルプス連峰と、遊ぶ雲。

左から、鳳凰三山、アサヨ峰、甲斐駒ヶ岳。
山の名前を知りたい方は、こちら。

夕刻、2階のベランダから見た西の空。

だんだんに、色鮮やかに変わっていきました。

地蔵岳のオベリスクも、くっきりと見えていました。
書いてくださった俳句も皆こころにしみますが、晩秋の感じが出ている写真が素晴らしいですね。
何度も眺めてきれいだな~と思っています。
夕焼けの色、人間が作り出せない色ですね。

随筆屋。
Webライター。
1962年東京生まれ。
2000年に山梨県北杜市に移住。
2012年から随筆をかき始める。
妻であり、母であり、主婦であること、ひとりの人であることを大切にし、毎日のなかにある些細な出来事に、様々な方向から光をあて、言葉を紡いでいきたいと思っています。
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